
鳩山由紀夫首相の「友愛」.とは、民主党の目指す社会、友愛社会。すなわち、個人の自立・尊厳を前提に互いに支えあう社会。今日、日本が直面している最大の課題である少子高齢化問題も、友愛精神に基づき政策で解決し、国民が安心して、心豊かに暮せる社会を実現する。というものである。
この政治理念は、かって映画にもなった岩手県和賀郡沢内村の深沢晟雄村長の政治理念に近い。不透明な時代の中、長かった自民党政権の垢を洗い流し、国民主権の政治を願っているが・・・
1961年に岩手県境にある岩手県和賀郡沢内村は、国に先駆けて乳児医療費や老人医療費の無料化を行い、1962年には、とうとう乳児死亡率がゼロという画期的な記録を達成し、その後も幾度となく、乳児死亡率ゼロを記録している。
日本経済が高度成長時代に入った頃、その発展に取り残されたかのように「貧困・多病・豪雪」という三重苦を背負わされた村があった。
しかし、その村は、それらの困難の前にひれ伏すのではなく、村長の努力と村民の協力でそれらを逆手にとって全国に先駆ける輝かしい業績を築き上げた。南北28キロ、東西10キロ、面積288.47平方きろ、1955年当時人口6,713人だった。
かってこの沢内村は、乳児1,000人中69人が死亡してしまうという乳児死亡率が日本一の、また老人の自殺の多い村であった。そして、11月から4月まで5ヶ月間も雪に埋まり、外部と交通が隔絶される。
いわゆる「特別豪雪地帯」であった。1200世帯のうち生活保護世帯が125世帯、分所得が岩手県下最下位の貧しい村でもあった。ところが、沢内村では、1961年、国に先駆けて乳児医療費や老人医療費の無料化を行い、1962年には、とうとう乳児死亡率がゼロという画期的な記録を達成し、その後も幾度ともなく、乳児死亡率ゼロを記録している。
さらに、全村民の生命を守るために、晟増進、予防、検診、治療、社会復帰まで一貫した地域包括医療体制を築き上げた。いまや、沢内村は、「自分達で自分の健康を守る村」と評されるようになった。
まず、第一の秘密は、村長深沢晟雄(まさお)の政治理念の中に潜んでいた。
「こうした環境の中で郵便の配達も止まってしまう猛吹雪を恨みながら、石コロのように死んでいった病人を、余りにも沢山知っている。口に糊をすることもできない人達が、薬草と売薬を信じ、近代社会や、近代医療を嘲りながら死んでいった例をを知り過ぎほど私は知っている。生命の尊重されない政治や世相の縮図のように、私の村ほど露骨にこれを現したものも少なかろう。人命の格差は絶対に許せない。このことは感傷的はヒューマニズムでもないし、人権尊重という民主主義の題目唱和でもない。生命健康に関するかぎり、国家ないし、自冶体は格差なく平等に全村民に対し責任を持つべきであり、それは思想以前であり、まして政策以前の当然の責務である・・・」(深沢晟雄)
そして秘密の第2位は、深沢村長の行動力であった。彼は、部落座談会の開催によって広く村民の声を聞く公聴活動と、「広報さわうち」によって社会教育重視の広報活動とを具体的に展開する。
また、「引率指導型の政治」ではなく「演出指導型の政治」によって、住民が主体性を発揮させるよう努めてきた。豪雪を突破するにも冬期交通確保期成同盟なる組織を作り、実現させたのだ。さらに、第3の秘密は、村立沢内病院の医師や保健婦さんをはじめ、村民一人ひとりの粘り強い活動が深沢村長を支えていたからに他ならない。
特に、沢内村の老人たちは明るく元気である。1983年、国が老人保険法を改正し、老人医療費を一部有料化に踏み切ったとき、沢内村では、老人クラブ連合会が自ずから署名を集めて無料化の存続を訴え、ついに沢内村の議会は存続を全会一致で採択した。【(東京学芸大学・・成田喜一郎 教授)ブログ抜粋】