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2009年10月 5日 (月)

突然の死に思う

13_10241 夜空に浮かぶ月の輝きが一段と美しい季節を迎えた三日夜。人の命の儚さを思い知らされたニュースでびっくりした。

「朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身」であり、老少不定の理、愛別離苦という厳しい現実を味わうこととなった。 お釈迦さまは「出息入息不待命終」と、お経に説かれている。( 出る息は入る息を待たず、命終わる)

ほとんどの人は、死は遠い先のことで、生と死とは、まったく別のもののように考えている「生と死」は裏・表であることが現実で、人間だけが、自分だけは例外でないのである。

自民党の中川昭一元財務相(56)は今年2月財務相を辞任した後、8月の衆院選で落選して議員バッジも失い、大臣辞任から約8カ月で人生の幕を閉じた。突然の死に対し、ただ々驚きである。

死因は、行政解剖したが死因は不明とのこと、死後10時間前後が経過していた。家族は「睡眠薬を服用していた」という。しかし因果関係は必ずある。腰の痛み止めの薬・睡眠薬などの飲み粟などので、死にべくして亡くなったものだと思う。十五夜の月に召されたのは何かの縁なのかも知れない。

小林一茶の句に 
   「露の世は 露の世ながら さりながら」がある。 

女の子供を一歳でなくしたときに読んだ句だそうだが、相当に力を落としたことだろう。愛娘への諦めきれぬ思いを切々と詠んだ一茶は、その後妻とも死別し、六十歳を過ぎて再婚する。妻のお腹には新たな命が宿したのであった。ところが、喜びも束の間、一茶は我が子の顔を見ることなく六十五歳で亡くなってしまう。

そして、翌年に生まれたのは女の子で、一茶がただひとりこの世に残した娘は、一茶の嘆きを拭い去るように、その後無事に成長して明治という新たな時代を迎えているという。

誰でも死という現実は100㌫迎えるのである。人の一生は儚い、まばたきの間である。人間の「生と死」を考えさせられたニュースでもあった。

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