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2009年9月23日 (水)

立って考える

Hiroshima101人間考えるときは、寝て考えてもいい結論は出ない。立って考えろと誰かに言われた覚えがある。生きて行くに娑婆には悩みは尽きない。「苦の娑婆」とも言う。とりとめもない「苦の娑婆」を乗り切るには・・・など今朝散歩しながらか考えてみた。

私たちは生きていく中で、色々な苦しみや苦難を背負って生きていかなければならない。苦難と立ち向かっている。その苦難や問題そのものも辛いことであるが、何より辛いのは、それを一緒に背負ってくれる人がいない、共に悩み共に涙してくれる人がいないということではないだろうか。

試練や苦難をたった一人で背負いながら、悩んでいる、だからいっそう苦しく辛いものとなるの。あてにしていた人が、いざとなると頼りにならず、友達と思っていた人が、肝心なときには助けてくれない、そんな中で私たちはいっそう苦しみ、悩んでしまうのである。

そんなに苦しんでいる唯一の心の支えは宗教である。苦しい時の「神・仏」である。神・仏を信じることが苦しんでいる人たちにどれだけ助けられたか計り知れない。

私たちが一人で悶々と悩んでいる苦しみを、神さまはご自分の苦しみとして一緒に悩み、苦しんでくださるという。それだけではなく、私たちの所に神さまの助けを送り、支え、励まし、守ってくださる。
 
一人で悶々と悩むとき、そこに神さまの共にいて一緒に悩み、苦しんでくださる、そうして悩む自分が、神さまにしっかりと支えられ生きられる。このことを実感でき、背負われて何とか幸せの淵にたどり着き、一人で解決できる勇気と知恵を授かり、生き続けられるのだ。

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