人生の“迷い”を考える
人間だから当然?なのか、悩み苦しみ今まで生きてきた価値すら否定してしまうまで落ち込んでしまうことがある。何の不足もない今の生活に“迷い”に襲われてしまう?。今朝は、人生の“迷い”について考えを整理してみたい。
何もなく平穏無事に毎日を充実して過ごしている。 それは大変素晴らしい事である。 でも人は、長い人生を決められたレールや地図通りに迷うことなく 、最後の時まで進んでいけることはない。
この地球上には、凡そ60億の人生がひしめき合っている。 それぞれに悩みを持ち、それぞれに目標を持ち、この世に生まれ出た瞬間から人は、一人で歩いていかなければならない。
そして最後の時もやはり一人、この宇宙の歴史に比較すれば人の一生なんてほんの一瞬の星の瞬きのようなもの、その一瞬の瞬きの間に消えていく人の人生にどんな価値があるのだろう。
時として人は、目標を見失うとこんな風に”迷い”の気持ちに襲われる。 大海原に漂流する一片の流木にしがみつき助けを待つ心境と似ている。
自分を見失なわってはいけない。 自分自身が何を成すにしても行動の原点、思考の原点である。 もういちど原点に戻り、今までの目標が何だったのか・今までの行動がその目標に対しどのくらいのズレが生じているのかこんな風に冷静に分析する事も一つの方法かもしれない。
目標に合致した行動が効率よくなされているとき、人は充実感を憶える。 自分の仕事や人生に価値を感じている瞬間といえる。 でも自分の満足のためだけの行動になってはいないか、目標に対する行動のズレ、それは自分だけの価値観が関与しすぎると考えていまう。
人生の意義は”生きる”ということ。 仕事も家庭も遊びも...芸術や論争、悩みや喜び.... 生きているからこそすべてが存在する。 ”生きる”ことが人々にすべての可能性を与えている。
生きているからこそ、いろんな苦しみがある。さまざまな苦しみを感じることは、今、生きている証(あかし)だから、その苦しみのあることを喜ぶべきである。苦しみを喜びに変えていく力をつけ、苦しみを喜びと受けとめることができれば、苦しみが苦しみでなくなる。苦しみと上手につきあえるようになればいいのだが・・・・・・。
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