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2009年9月 6日 (日)

「我が人生悔いは無し」を考える

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539571このところ、生活環境を敢えて変えてみた。どういうことかというと、13年ぶりに仕事をしたのである。今まで一年中、朝から晩まで何もしない、いわゆる完全年金生活をしてきた。

考えるに、人生一回の本番であり、やり直しは出来ない。人間夫々の人生観があって、自分の人生をいかに楽しくまっとうして終えることが出来るか、人に迷惑をかけなければ、誰かに拘束されずに生きるかが70歳を過ぎた人間に与えられた特権であろうと思う。

13年ぶりに、ある企業に行きお金目的に一週間の契約?であるが、契約時の仕事の内容と、実際の仕事の内容が、大分違っていて(ハード)3日間でお手上げで終ったのである。

顔に傷をつけたり、足の指を剥がしてしまったり、腕に痣をつけてしまった。最後は左横腹の筋肉を痛め、ダウンしてしまった。理由は、自分の作業に対する甘さ、注意不足からだが、確かに体力の衰え、集中力の減退などが重なった結果だ。

仕事をする前に、自動車運転免許更新で、講習を受けたが、一番印象に残った事は、70歳以上になると、「誰でも、肉体的・精神的の衰えは出て当たり前で、講習は、その衰えてしまった程度を自覚し、自動車の運転を心がける事のためにある。」と言うことだった。

人間 「旬」 がある。生まれてから、死ぬまで、つまり「生・老・病・死」もっと細かく言うならば、幼少から終焉まで、その時期でないと出来ないことがある。

スポーツに例えて言うならば、相撲・野球・柔道などは、40歳ぐらいが限度である。そのように人間何れは訪れる終焉の時期に向かっていき続けているのである。

そんなに長くはない人生航路を有意義に過ごせるかを考えた場合その人の価値観で個人差はあるが「太く短く」か、「長く細く」である。大宇宙的に考えると人生100年とした場合、「ほんの一瞬」かげろうの命のようなものかも知れない。

人生七坂を転げ落ちていくしかないのが自然の法則である。しからば、大きな目標だが「我が人生に悔いは無し」の人生を模索して生きて生きたい。

ブログを1週間ぶりに書いた。これから一日一生の心構えで生きていく記録を残すためブログを書くことに努力したい。

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