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2009年9月27日 (日)

薄暮の想い

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08yokotesigai_yuukei21_2九月も終わりに、近づき爽やかな秋風が通り抜けていく、夕方はちょっと肌寒い。

静かな湯殿川の堤防コンクリーとに肩を並べて若者カップルが座って夕日を眺めていた。

そんな光景を見ながら青春時代にプレイバックしてみた。私は目を閉じそんな楽しい時代が自分にはあったのかな???と密かに
昔を思い出していた。

薄暮の水面をつがいの鴨が今日のねぐらを探している。誰にも邪魔をされない、安心して眠れ、干渉されないねぐらを探している鴨の夫婦の光景をみて・・・。

繰り返し春夏秋冬の一年の山あり谷あり人生は、早く感じられてしまい、一日を大事に過ごせねばと・・・。現代は人間社会の変化の速度が一時代前と比べると加速しているような気がする。一年の変化が十年に匹敵しているようだ。つまり、変化に取り残されると・・・・

この時代を生き抜くことができないのではという錯覚に陥ってしまう。「昨今の社会の情勢は混迷の度をいっそう深め、激動の時代をむかえた」と、異口同音に現代人は叫び続けている。しかし、山川草木、万物は静かな生き死にの流れの中にあり、悠々に無常のの時を刻んでいるのです。

大地はには小さな花や昆虫が、生命を営みをみせている。生死を憂えることもないから生老病死の悩みもない。この大地には金も名誉もない、悠久のの生命の流れがある。

人間だけが心身を悩ますいっさいの欲望、っすなわち煩悩により、自分の足下すらみえず、歩むべき方向を見失っている人が多い。現代人の多くが日常のストレスを感じている、人間社会しか見えないが、今日のような四季の移ろいをの美しさに感動する心を失ってしまったのだろうか・・・。

人間社会のしがらみにしか生きる空間を持たない心の悩み多き人々が今日も人間の社会をさ迷っている。

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