日陰作りにひょうたん棚
今日の名言
ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの |
『室生犀星詩集』「小景異情」 |
朝顔の顔でふりむくブルドッグ こしのゆみこ
最初に読んだとき心にどんときて、それでいてその良さを説明しがたい句というのがあるけど、この句もそうだ。朝顔と顔のリフレインが軽快だけど、「朝顔の」でいったん小休止を置いて読んだ。
チワワやプードルのように軽快な動きができずに、大きな顔でぐいっと身体ごと振り向く動作の重いブルドッグと爽やかにひらく朝顔は質感といい、形といいなんら繋がりはない。にもかかわらず「顔」で響き合うこの取り合わせはどこかおかしい。いかめしいブルドッグの顔のまわりにひらひらフリルがついて大きな朝顔になってしまいそうだ。
ブルドッグもこのごろは小型化してフレンチブルドッグを連れている人はよく見るけれど、頬が垂れて足の短い大型のブルドッグはほとんど見かけない。ダックスフンドといいコリーといい家のサイズに合わせて小型化する時代なのだろうか。
そのむかし、ブルドッグは追っかけられると怖い犬の代名詞だったように思う。そう言えば、ポパイの天敵ブルートもごついブルドッグを連れていたっけ。『コイツァンの猫』(2009)所収。(三宅やよい)
一窓の ひょうたん秋に なりにけり
むかし、夏の熱い太陽から、避けるた軒先にひょうたん、へちまなどの葉っぱの大きな植物を植えた家があった。ひょうたんでも、いろいろ種類がある多きいいのは50センチぐらい長い物や、5センチぐらいの小さいものもある。
窓の向こうの道路に麦藁帽子をかぶった、アイスキャンデイー売りのおじさんが、チリンチリンと鐘を鳴らして通る、懐かしい昔の風景を思い出した。ひょうたんの棚の下は涼しい、野良から帰った親父が、汗をぬぐう姿も遠い記憶にある。
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