原爆投下の日
あなたがたの実力以上に有徳であろうとするな! できそうもないことをおのれに要求するな! |
ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』(下) |
蛇口ひねれば黙祷といふテレビ 渡辺信子
八月六日広島へ原爆投下された朝である。八時十五分の投下時間になると広島の平和の鐘とともに「黙祷」と、祈りが捧げられる。死者を悼むとはどういうことなのだろう。戦後生まれの私にとって戦争はおそろしいという感覚以外、子供の世代に伝えるものを持たなかったように思う。
テレビを通じて運ばれてくる「黙祷」の声に何を持って和することができるのか。この時期になるたびに思う。原爆投下で家族を失った義母は追悼番組が始まると「見とうない。」と、テレビを切っていたそうだ。ちょうど朝食の後片付けの時間、蛇口をひねったら聞こえてきたテレビの声に作者は手を止めることなく汚れた皿を洗い続けるのかもしれない。
その日常の行為に作者の鎮魂がこめられている。昭和二十年三月十日、義母と同年齢の作者も家族を失った。「私の中で生きつづける母、弟、妹、空襲に遭って東京の下町に消えた近隣の人々、戦場に散った人々、その鎮魂をと祈りつつ生きてまいりました。俳句を作る中で言霊をいただいて歩んでこられたことに、感謝しております。」と帯には作者の言葉が書かれている。『冬銀河』(2009)所収。(三宅やよい)
赤錆びた 手漕ぎ井戸 原爆の日
広島・長崎に原子爆弾が投下されて64年が経つ、私は8歳で、近所の友達のお父さんが、広島に兵隊でいたという。復員してその恐ろしさを何度か聞かされて、子供心に恐ろしいと思った。焼け爛れた人が水を求めて川で死んでいった話から連想した。
近所に畑の真ん中に手漕ぎの井戸が取り残されている。井戸を取り付けた当時は、住宅があったのだが家を取り壊し畑にしてしまったのだが、井戸だけが残してある。真っ赤に錆びて今は使われていないが10年ぐらい前まで使っていたようだ。台座もなく鉄管に水をくみ上げるポンプのみとなってしまったものを見て、何故か終戦当時を思い出した。
原爆に関して昨日、話題の記事が二つあった。その一つがアメリカで世論調査で「6割超が原爆投下は正当」という、根強い肯定意見があると言う。米キニピアック大学(コネティカット州)の世論調査研究所が行った調査で、64年前の広島と長崎への原爆投下について、米国人の61%が「投下は正しかった」と考えていることが4日、分かった。投下を支持しない人は22%にとどまった。
オバマ大統領は「核なき世界」の実現を訴えているが、米国では依然、原爆投下を肯定する意見が根強いことが浮き彫りになった。
もう一つは、長年、原爆症、で苦労されてきた人たちの原爆症認定集団訴訟をめぐる被爆者救済問題に関し、麻生首相と舛添厚生労働相と最終協議し、306人の原告全員を救済することで合意したという。内容は、1審で勝訴している原告は高裁判決を待たずに政府が原爆症と認定し、敗訴している原告には基金を創設して手当てする。
64年も時が経ち、核の廃絶を訴え続けて戦争のない地球を懇願している人々はどう思うのだろう。今日は世界で始めて広島に原子爆弾が落とされた日である。
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