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2009年7月11日 (土)

蛇とバッタリ

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今日の名言

人生の時間は、自分の召命を「確実にする」ためには、限りなく短くかつ貴重だ。
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

L1 駆け足のはづみに蛇を飛び越えし 岩淵喜代子

手元の『台湾歳時記』(2003・黄霊之著)。「蛇」は、「長い物」という季語として立っている。傍題は「長い奴」。その解説曰く「蛇の噂をする時、『長い物』と呼び『蛇』とはよばない。蛇が呼ばれたと思い、のこのこ出てくるからだ」。どこの国でも、あまり好かれてはいないらしい。

最近蛇を見たのは、とある公園の池、悠々と泳いでいた。それは青白い細めの蛇だったが、子供の頃はしょっちゅう青大将に出くわした。まさに、出くわす、という表現がピッタリで、歩いていると、がさがさと出てきてくねくねっと眼前を横切るが、けっこう素速い。掲出句、走っているのは少女の頃の作者なのか。

のんびり歩いていたら、ただ立ちすくむところだが、こちらもそうとうなスピードで走っていて、出会い頭の瞬間、もう少しで踏みそうになりながら勢いで飛び越える。説明とならず一瞬のできごとを鮮やかに切り取っている。子供はそのまま走り去り、蛇は再び草むらへ。あとにはただ炎天下の一本道が白く続く。『嘘のやう影のやう』(2007)所収。(今井肖子)

息ひそめ 木に横たわり 蛇光る

蛇は木の枝に静かに横たわっているとなかなか気がつかない。私はあの青白く光る肌は恐怖感が覚える。

先に存在を知ることができれば、それなりの覚悟ができるが草取り中バッタリ会うと、思わず後ずさりしてしまう。青臭い匂い?光る鱗は、独特な雰囲気を持っている。

道などで、バッタリ会ったときは、ハッとしてしまうがアッという間に通りすぎてしまう。声も出さず、あの静かさは、心まで凍ってしまいそうである。

そういえば昨年の福田首相の退任するときメールマガジンで、「龍蛇無鱗」という言葉を使ったことを思い出す(2008-9-11)「りゅうにへびのうろこなし」とは4文字熟語にはない。

蛇の鱗は威容で独特な光を放つ、非常に印象付けるようだ。腕時計のバンドや、ベルトなどに使う人もあるくらいだ。

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