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2009年7月10日 (金)

「美しい」は心がある

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今日の名言

良心の自由ほど魅惑的なものはないけれど、またこれほど苦しいものはないのだ。
ドストエーフスキイ『カラマーゾフの兄弟』

07rose_ame21もう何もするなと死出の薔薇持たす 平畑静塔

前書に「三鬼の死に」とある。確かにこういう人はいるな。いつも忙しそうに飛び回って、何か常に画策している。その人の生きる本筋とは無縁のようなことについても懸命にやる。時にフィクサーと呼ばれ、関係のないことにも必ず名前があがる。

西東三鬼という人もそうだったのだろう。新興俳句弾圧の折には三鬼スパイ説なんてのもあったし、俳人協会を設立して現代俳句協会から主要俳人を引き抜いたのも三鬼らしい。この人の無頼な生き様は自叙伝『神戸』『続神戸』からもうかがえる。女性関係の奔放さも。静塔と三鬼はいわば盟友。戦後、山口誓子を担いでの「天狼」設立の主要メンバーである。

精神科医である静塔は盟友三鬼を「いつも忙しく動いてないでたまにはゆったりしろよ」という眼で見ていたに違いない。こいつ、性分だからしょうがないなという友情で見ていたのかもしれない。もう何もするなと心の中で呼びかけながら棺の中に薔薇を置く。菊ではなくて薔薇というのも三鬼にふさわしい。

政治家や芸能人の葬儀でよくある「あの世ではどうぞゆっくりお休みください」というのとは違う。「もう何もするな」の命令調に滲む友情と悲しみ。『現代の俳人101』(2004)所収。(今井 聖)

道ばたで ささやき合って ダリアかな

津久井に車でよく出かける。トンネルを抜けると、道路の路肩(土手)にダリアが植えられている。先だって通ったら、真紅の花が咲いていた。何かとなりどうしでささやき合っているようで、ちょっと車のハンドルを握り締めた。

大きな葉に、大胆な大きな花は、スペインのフラメンコダンサーを思い出す。虐げられたものたちの心の叫びから生まれたフラメンコは、どうにもならないほど強烈な感情を表現する。

虐げられた、長い時代から開放されて、爆発的な感情を発散しているようでダリアの花を見て、フラメンコのダンサーを連想してしまった。

「美しい」という言葉には、心が入っている。美しい花が咲いているのを見ているとそれまでに厳しい試練を潜り抜けて立派な花になる。「きれい」とは違う。

自然も、人間もそうだ。「美しい」と感動が溢れ、涙する位になる経験がしばしばある。その感動をいつも持つように心がけることが、生きる上で大切なことである。今ある存在を認め、相手を思いやる優しい心が大事だ。

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