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2009年6月28日 (日)

滅私奉公

Shiraito_fujinomiya1 最近公官庁の役人や国会議員の不正は後を絶たない。本当に、公務員や国会議員になる初心は何処にいったのか、最近では西松建設疑惑、農水産省の不祥事がある。事件が発覚し、改革推進本部なるものが立ち上げ、見た目は変わったかに見えるが表紙が変わっただけの中身は旧態依然である。

原因は、「教育」にあると言う人も、しかし、「滅私奉公」という言葉がある。森元首相が自分のモットーだという。自分を殺して,公に尽くすという意味である。ある意味,日本的な美徳であろう。

さて、「私」を殺さないと、「公」のために尽くすことは出来ないのだろうか?

「滅私奉公」意味は、私心をなくし公に一身をささげて仕えることだが、この言葉も使い方によって意味が相当違ってくる。

戦後の日本は、産業・経済・教育・文化で大きく変わって庶民の暮らしも、考え方も転換しそれと同時に世界は、グローバル化して来た。基本的な人間生活は多様化し複雑になった。

心理学の用語で「アイデンティティ(自我同一性)」という言葉ある。「アイデンティティが獲得される」ということを簡単に言うと「自分らしさを見つけ,自分らしさを受け止め,社会の中に居場所を見つけられた状態」ということになる。

世の中に普及した、いわゆる「滅私奉公」の考えは、「軍人勅諭」(明治15年発布)や「教育勅語」(明治23年発布)に見られる考えかで、この場合の「公」とは天皇や国家の意味であり、天皇の名の下に発布されたものだから、上からの強制である。

「滅私奉公」的考えが上から強制され、しかも教育の現場でそれが実行されると如何なる事態となるか、65年前の日本国民全体が人体実験させられた。

このように「滅私奉公」的考えが「私」の立場から発せられるか、「公」の立場から発せられるかで、似て非なるものとなる。「公」が、いわゆる「公共」の意味の場合は、どうだろうか。

なくらない、公人の不正の続発で今朝は言葉に思いがある「滅私奉公」を考えてみた。

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