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2009年3月30日 (月)

思わず気づかされる

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今日の名言

日本人は素描をするのが速い、非常に速い、まるで稲妻のようだ、それは神経がこまかく、感覚が素直なためだ。
『ゴッホの手紙』(中)

05sikotuko31よろけては春の真中を行く棒か 松林尚志

作者は1930年生まれ。おそらく自画像だろう。そう思うのは、最近私自身が歩行中にしばしば「よろける」ようになってきたからだ。加齢によるものとしか言いようがないのだけれど、思わぬときによろりと来る。まだ「おっとっと」と踏ん張れる程度ではあるが、駅のホームなどではけっこう恐い。

だから、ホームの黄色い線から前にはみ出さないようにするのが、習い性となってきた。老人の動作は緩慢なので、一見悠々としているように見えたりぼおっとしているように見えたりする。これまでの私も、そんなふうに高齢者を見てきた。が、実際にそんな年齢にさしかかってくると、あれはあれで若いときとは比較にならないほど激しく神経を使っていることがわかってきた。

「老人は忙しいのだ」と書いたのは、九十歳を超えたころの伊藤信吉だったが、激しく神経を使ってはいるものの、その身体的表現はあくまでもゆるやかにしか現れないので、わざわざそう書いておく必要を覚えたのだろう。そんな具合で、よろけた作者は、まるで自分が頼りない一本の「棒」みたいに思えたのである。思えたと同時に、苦笑している。時は春。

万物が若々しい息吹とともに生長しはじめたなか、自分は逆によろけては徐々に衰えてゆく。陽炎燃える「春の真中」に、よろけて歩く自分をまるで「棒」みたいではないかと戯画化した哀しくもユーモラスな一句である。『冬日の藁』(2009)所収。(清水哲男)

私も、よろける・ころぶを経験するようになった。散歩でも、駅のホーム、特に階段で注意をしないととんでもないことになる。注意をしないといけなくなった。足から年を取っていくと言われる。暇があれば毎日歩くようにしている。

寄る年はしかたがないが、なるべくゆっくり年を取りたいと思うが、ある日こんなことが出来なくなたなどの経験がしばしばである。思わず気づかされる。

それでも、少しでも健康でいたい。今日は、胃・大腸の入院検査をする。健康は誰にとって望みである。「健康は最高の幸せの贈り物」という。「心身のいたわりは年を重ねて強くなる」。

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