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2009年3月23日 (月)

平凡が幸せ

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今日の名言

過ぎてかえらぬ不幸をくやむのは更に不幸を招く近道だ。
シェイクスピア『オセロウ』

07yamazakura_kitakami11コノハナサクヤ三合の米を研ぐ 中居由美

今年も桜の季節になった。「コノハナサクヤ」は『古事記』に出てくるコノハナサクヤヒメにかけてある。ただし、うっすらと……。ヒメはその美しさを望まれて天皇の后となった女性だが、一夜にして身ごもったことから、他の男の子供だろうと天皇に疑われる。そこでヒメはおのれの潔白を証明すべく、産屋に火を放って出産する。

もしも天皇の子でないとしたら、無事にはすまないはずだというわけだ。そうして無事に産まれた子は三人だった。作者は桜が咲きはじめたことから、なんとなく「コノハナサクヤ(木の花咲くや)」と呟いたのだろう。

で、いまやっている仕事が米を研ぐという典型的な庶民のそれであることに、大昔のヒメとの生活感の落差を感じて、ひとり可笑しいような少し情けないような思いがちらりと頭を掠めたのである。しかも「三」は三でも、米が三合。実はコノハナサクヤヒメは姉とともに嫁いだのだが、姉は醜かったので直ちに帰されてしまった。

そんな後ろめたさを背負ってもいたので、彼女の人生は必ずしも明るかったとは言えない。そんなことも想起されて、作者は自分のドラマチックでもなく激情的でもない人生や生活のありようを、むしろ好ましく感じているのでもある。ほろ苦いユーモアの効いた佳句だ。『白鳥クラブ』(2009)所載。(清水哲男)

コノハナノサクヤビメは、日本神話に登場する女神。一般的には木花咲耶姫と記される。

コノハナノサクヤビメは木の花(桜の花)が咲くように美しい女性の意味である。カムアタツヒメの「阿多」は薩摩国阿多郡阿多郷(現在の鹿児島県南さつま市周辺)のことであるとされている。つまり阿多隼人の出身であり、その首領の娘という意味をもつ。

コノハナノサクヤビメとカムアタツヒメは本来は別の神であったと考えられている。コノハナノサクヤビメとイワナガヒメの説話は短命・死の起源を語ったもの。

平凡な人生を送ることの素晴らしさ、今朝も台所に立ち、朝食の支度をしながら何んのためらいもなく行う事が出来る。病気で臥せってしまってもしかたがない。考えて見れば、なんでもないないことが出来る事の幸せを身体の不調のときに感じる。

幸せなんて遠くにはない、何時も自分の心の中にある。日常当たり前の生活が出来る事が一番の幸福なのである。「平凡が非凡」と親父の言った言葉を思い出した。

昨日の雨で片倉城址公園の桜の花は咲き出すのが早まったろう。

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