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2009年3月20日 (金)

芹摘み

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今日の名言

わたしは書物はきらいだ。書物は知りもしないことについて語ることを教えるだけだ。
ルソー『エミール』(上)

Shibutoge41ぼろぼろの芹摘んでくるたましひたち 飯島晴子

季語は「芹(せり)」で春。正直に言って、私には掲句はよくわからない。しかし、わからないとは言うものの、そこらへんにポイッとは捨てられない気になる響きを持った句だ。何故だろうかと、自分自身に聞いてみる。

俳句を読んでいると、ときどきこんなことが起きる。捨てられないのは、どうやら「ぼろぼろの芹」と「たましひ」との取りあわせのせいらしい。「たましひ」は、生者のそれでもよいのだが、この場合は死者の魂だろうと、しばらく考えてから、勝手に結論づけてみた。生者が「ぼろぼろの芹」を摘んだのでは、どうしようもない。

いや、生者ならば決して摘むことはない、見向きもせぬ「ぼろぼろの芹」だ。それを、死者があえて摘んだのである。死者ゆえに、もう食べることもないのだから、とにかく摘んできただけなのだ。摘んできたのは、生きていたころと同じようにして、死んでいたいからである。

すなわち、死んでも死にきれない者たちの「たましひ」が、春風に誘われて川辺に出て、そこで摘んでいる生者と同じように摘んでみたかったのだ。それだけだ。でも、ちゃんと生者のために新鮮な芹は残しておいて、あえてぼろぼろなところだけを選んで摘んできた。

しかも、生きていた時とまったく同じ摘み方で、上機嫌で……。なんと楽しげな哀しい世界だろう。でも、飯島さん。きっと間違ってますね、私の解釈は……。開戦前夜、私はとても変である。誰も、こんなアホな戦争で、死ぬんじゃないぞ。『蕨手』(1972)所収。(清水哲男)

昨日、歩いて15分の休耕田に行って 芹摘みをして来た。23度と何もしなくても、汗をかくほどで、初夏の陽気であった。しかしちょっと20年前は田んぼは、近くにもあって、こぶな・どじょう・カエルなどがいたのが、今は開発され道路が出来て、住宅が建ち、畑や、田んぼはなくなってしまった。それでも、取り残されたように山あいに休耕田がある。だが、かろうじて残っている小川には生き物はみあたらなかった。

芹摘みは、毎年行っているのだが殆どする人がいない。芹はスーパーに売っているが、自然の田んぼに生えているものと、香りが全然違う。山あいで聞くウグイスの鳴き声・甲高いコジュケイの鳴き声は、昔を思い出し、郷愁に浸ることがでる幸せを満喫できた。

摘んだ芹は、花粉症が酷いので私と一緒にいけないのが残念で仕方がない妻がこしらえる(根や、ゴミをとる)のだが、結構楽しそうである。

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