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2009年3月19日 (木)

春が来た

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今日の名言

学問には坦々(たんたん)たる大道はありません。
そしてただ、学問の急峻(きゅうしゅん)な山路をよじ登るのに疲労困憊(ひろうこんぱい)をいとわない者だけが、輝かしい絶頂をきわめる希望をもつのです。
マルクス『マルクス 資本論』(一)

07yamazakura_kitakami11人ごみに蝶の生るる彼岸かな 永田耕衣

季語で彼岸といえば春の彼岸をさすらしい。春の茫洋とした空気の中でこっちとあっちの世界はぐぐっと近くなるのだろう。掲句は耕衣が二十歳の頃「ホトトギス」に投句した作品だそうだ。

処女作には作家の全てが含まれる。と言われるが初期のこの句にその後の耕衣の行き方が示されている。春のうららかな日を浴びて人ごみに生まれる蝶は、死者の生まれ変わりとも歩いている一人が変化した姿とも受けとめられる。

夏石番矢の『現代俳句キーワード』によると「蝶はどうやら霊的存在の一時的に宿る移動手段と考えていたらしい。西洋では蝶に死者の霊魂を見ていた。」とある。

そう思えば彼岸に蝶が生まれる場所に最も俗な「人ごみ」を想定することで、いま在ることがあの世に繋がってゆく生と死の連続性が感じられる。その点から言えばどことなく不思議な光を放つこの句を耕衣後期の作品に混ぜても違和感はないように思う。『永田耕衣句集』(2002)所収。(三宅やよい)

『彼岸』、「暑さ寒さも彼岸まで」というが、日の出 05時46分 : 日の入 17時52分と夜と昼が同じに近い。そして暖かくなってきた。

桜の便りが、あちこちから聞えてくるようになった。何でも例年より、七日も早いという。昨日暖かく、21度だった。珍しいことに家の直ぐ近くでウグイスが鳴いていた。そして一生懸命口を開いている姿を確認できた。しかし、鳴き方は、あまり上手ではない、練習?のようだった。『ホーホケキョ』とははっきり聞えなかった。

里山近くの休耕田に行って、芹摘みをして来た。夕食に天ぷらそばで、早春の香りを楽しんだ。その田んぼの近くでもウグイスが辺りを切り裂くように鳴いて、春本番の雰囲気であった。

芹を摘みながら昔を思い出した。山菜摘みで毎日を過ごしたこと、芹・のびる・かんぞう・たらの芽・つくし・みつば・たんぽぽなどを摘んで食べた。よく一緒に行っていた隣のトリちゃんは足が痛めてしまい、しゃがめないので無理となってしまった。もう山菜取りをする人はいなくなた。

今年は黄砂が酷い、その上スギ花粉でどうやら目が痛く、今までなんでもなかったが、「花粉症」にかかったようだ。空の色が何となく黄ばんでいる。国道を走る車のフロントは黄色く汚れていた。

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