藁仕事
人生は短く、金ってやつは少ない。 |
ブレヒト『三文オペラ』 |

東京辺りでは、今年の桜の開花は早いそうだ。とはいえまだ少し先だけれど、早咲きを願ってこの句を紹介する。季語は「花冷(え)」で、桜は咲いたのに、どうかすると冷え込むことがあるが、そのころの季感を言う。桜の樹は川べりに植えられることも多いので、このときの作者はちょっと川端で花見でもと洒落込んだのだろうか。しかし、あいにくの冷え込みだ。
襟を掻き合わせるようにして、どこまでも白くぼおっとつづく桜並木を見ているうちに、自然に川の水に目が移った。桜の花はいわば幻想的な景観だが、川の水はいつ見ても現実そのものだから、桜を眺めていたまなざしが、ふと我に返ったのである。むろん大気の冷えが、そうさせたのだ。
こういうときの現実は強い。普段なら気にもしない水の流れに、作者の目はおのずから吸い寄せられていった。思わずも凝視しているうちに、どうした加減か、川のある箇所の水が捩れながら流れている。その様子がまるで縄を綯(な)っているように見えたというのである。
縄を綯ったことのある人ならば、あのいつ果てるとも知れない単調な作業を思い出して、句景はすぐに了解できるだろう。作者はいつしか桜のことを忘れてしまい、しばし川水の力強い縄綯いの「現実」に見入ってしまうのであった。『月魄』(2009)所載。(清水哲男)
縄をなうと言うと、私は子供ころ、縄ないの下こしらえをさせらた。どう言う事かというと、藁に水をくれて槌で叩き柔軟性を持たせるのである。小学生の4年生の小さい手では槌は片手ではもてない両手で精一杯叩くのであるが、なかなかの重労働である。
母親が縄を綯い、筵織りをするのである。ちょうど春先の今頃である。あかぎれの指が痛々しい。それでも農家の唯一の現金収入である。藁屑だらけの前掛けとほこりをかぶった手ぬぐいで、頭にかぶって働く姿が今も目から離れない。
藁仕事は、他に草履、足中(草履の半分の長さのもの)、わらじ、蓑、などがあるがある。今では作る人もいない。
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