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2009年3月12日 (木)

口にするのもおぞましい事件

Ota21今から22年前の衝撃的事件は、世間を震撼した。口に自殺防止用テープを張られ捜査員に両腕を抱えられタラップを下りる衝撃映像がテレビで再生された。「大韓航空機爆破事件は北朝鮮のテロ。私は偽物ではない」。田口八重子さんの家族との面会後、金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚が記者会見でそう語りながら見せた表情は、ほんろうされ続けた人生を歩んだ迫力に満ちていた。そしてやり場のない表情は、悲しいほど力があった。

著書などによると、金元死刑囚は少女時代は子役の俳優。父は外交官で、大学で日本語を学び、その容姿と語学能力で工作員に選抜された。87年の爆破事件では爆弾を置いて降機後のバーレーンで身柄を拘束、韓国に移送された。91年にベストセラーとなった著書で「犠牲となった人たちに何かをやらなければならないという荷物を死ぬまで背負っていく」としつつ「私は罪人である前に、単純に、一人の20代の女性でありたい」と、揺れる女心を記した。

その言葉通り、97年に自身の身辺警護の男性と結婚して公の場から次第に姿を消し、1男1女を育てた。だが、盧武鉉(ノムヒョン)前政権下で「爆破事件は韓国主導」との陰謀説が再燃。ソウルから地方へ自宅を移し、隠れ住まざるを得なくなった。

李明博(イミョンバク)保守政権の発足もあり、12年ぶりに公の場に姿を見せた金元死刑囚は、以前よりほおがこけ、穏やかな口調ながら厳しい表情もみせた。記者会見こそ韓国語だったが、飯塚耕一郎さん(32)らとは、田口さん仕込みの日本語で通した。

韓国のジャーナリスト、趙甲済(チョガプチェ)氏は「前政権時代に自分が圧迫を受けたことへの怒りが、彼女の背中を押した」と推し量ったという。

息をのむ思いの対面だったに違いない。それは涙で始まった。

「抱いてもいいですか」。金元死刑囚(47)は日本語でそう話しかけ、田口八重子さんの長男、耕一郎さん(32)を抱き寄せた。

金元死刑囚は「田口さんは生きている。希望を持って」と励ましたが、自ら犯行に加わった87年の大韓航空機爆破事件の後は、韓国で暮らしている。田口さんがその後どうなったのか、事情は知らないに違いない。

飛行中に爆破され、ビルマ沖に消えた大韓機には115人が乗っていた。その犠牲者の家族と金元工作員との本格的な面談はいまだできず、家族らの思いは満たされぬままだ。

そして金元死刑囚本人も、悲劇に巻き込まれたひとりでもある。恵まれた家庭の出身だが、学生時代に工作員にさせられた。事件で死刑が確定後、特赦を受けて韓国内にひっそりと暮らしている。両親と妹弟の消息は分からない。

拉致も爆破テロも、朝鮮半島の南北分断と、激しい対立のなかで起きた。北朝鮮という特異な独裁国家が手を染めた、犯罪のむごさを思う。

北朝鮮に融和姿勢をとった韓国の前政権のころは、金元工作員の存在を目立たせたくなかったのだろう、今度のような面談はできなかった。それが実現したのは、今の李明博政権が北朝鮮政策を見直したためだ。

韓国も多くの拉致被害者を抱える。これを機に拉致問題は、日韓の連携をさら強め解決していくことを祈るばかりである。

彼女が両脇を抱えられて、飛行機のタラップを降りてきた映像と、耕一郎さんと抱き合った涙の映像は、22年経った今想像も出来ない重いものが感じられた。

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コメント

趙甲済は日本は、“竹島の領有権を放棄しろ”とぬかしました。日本のメディアには、奴の様な顔も根性も暑苦しい輩にインタビューを求めないで欲しいものです。

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