電話の功罪

今日の名言
まったくこの愛というやつはどんな大きな過ちの言いわけにもなりうるのです。 |
『セルバンテス短篇集』「愚かな物好きの話」 |
ポケットの底に届きし初電話 酒井秀次
季語は「初電話」、その年に初めて電話で交わす会話を意味しています。すでに新年も11日を過ぎてしまい、今頃初電話でもないだろうと言われそうですが、かくいうわたしは、友人の少なさのせいか、会社の内線以外の電話を今年はまだしていません。
年初の電話ということですから、多くは、今年一年の変わらぬ友情を約するためのものと思われます。電話がポケットの底に届いたということは、携帯電話をポケットの中にでも入れていたのでしょう。
「底に届く」という言葉は、どこか、郵便受けの底に小さな落下音をたてて落ちてきた封書を連想させます。まさか、電話の届いてくる音が聞こえてくるわけもなく、届くときにはいきなり着信音が鳴り出すだけのものです。
それでもこの句を読んでいると、願いを込めてはるばる上空を飛んできた電波が、その人までようやくたどり着き、ポケットの中にストンと落ちてゆく音まで聞こえてきそうです。
落ちてきたものは、年初の型どおりの挨拶だけではなく、受け取る人の気持ちを晴れやかな方向へ向けさせるような内容であってくれと、おせっかいながらも願わないではいられません。『角川 俳句大歳時記 新年』(2006・角川書店)所載。(松下育男)
携帯電話、本当に便利になったものだ。私は散歩する時や、必ず懐に入れて行く、しかし機能を全部使って利用している訳ではない。メールのやり取りはしていない。
銀行のATMの機械の前で、なにやら慣れない機械の操作をしている中年のご婦人がいる、心配顔から、ホッとするような顔になっている。アッ、振り込め詐欺に遭ったのだ。こんなことに使われたりもする。
旅行で、遠くに出かけているときに、どうでもならい相談を聞かなくてはならない事もある。
そして今問題の小学生の携帯電話の学校持込みの問題である。確かに学校の生き返りの誘拐事件が多発している。親として子どもと、目の届かぬ所にいると不安であるが、それ以外に、心配な使い方をして事件の巻き込まれたりする。フリタリングなども問題である。
便利と言うものは、便利の裏側に、恐ろしいことに使われる。便利が不便?気をつけたい。
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