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2009年1月29日 (木)

探梅

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  今日の名言

素朴、善、真実のないところに、偉大さはないのだ。
トルストイ『戦争と平和』(六)

Mejiro11探梅や遠き昔の汽車にのり 山口誓子

そろそろ暖かい地方では梅が開き始める時期だろうか。浅ましくも「開花情報」をネットで検索してから出かけるのでは「探梅」の心には遠く、かと言ってこの寒さにあてなく野山をさすらう気持ちにはなかなかなれない。

昭和49年に鉄道が無煙化して以来、汽車は観光のための見世物になってしまった。汽車が生活の交通手段にあり、会話の中でも汽車と電車を使い分けていたのは私たちの世代が最後かもしれない。

「遠き昔の汽車」とは、むかし乗ったのと同じ型式の汽車にたまたま乗り合わせたという意味だろうか。そればかりでなく鳴響く汽笛に心をはずませた幼い頃の気分が甘酸っぱく甦ってきたのかもしれない。

探梅は冬の寒さ厳しき折に先駆けて咲く梅を見つけにゆく旅。「遠き」が時間と距離の双方にかかり郷愁と同時に春を探しに行く未知の明るさを句に宿している。硬質な知的構成がとかく強調される誓子だが、この句にはみずみずしい叙情が感じられる。『凍港』(1932)所収。(三宅やよい)

探梅や天城出て来し水ゆたか 飯田龍太

早咲きの梅を探し求めて山野を歩くことを探梅という。梅といえば早春を代表する季語であるが、探梅の頃はまだまだ寒く、芭蕉により冬期と定められた。ささやかな春を求める心が尊いのである。

作者は、山や谷などの日溜りを辿りながら、梅を求めて彷徨ったのであろう。未だに冷たい風を肌に感じながらも、木々の梢の肌合いにも、春の近さを思わせるものがある。

また近くを流れる沢の水量もいつからか増えており、豊かな水を思わせる。天城を出てきたと殊更に述べるのも、寒さに閉じ込められてきた思いの発散をうかがわせる。探梅は冬からの解放の心でもあるようだ。

昨日ほんのり春の兆しを、感じる光景をみた。まだ梅のつぼみが固い枝に、普段見ることが出来ない鳥で、「めじろ」2羽が花が咲いているか、確認をするかのような姿が見られた。

しばらくして、梅の木の隣にある、ピラカンサの赤い実に興味が移ったのか、ついばめ始めた。雀より一回り小さく、濃い緑の姿と目の縁がしろい輪は、何とも可愛らしい。春をつれてくるような、のどかな風景で、ちょっと暖かな感じさえ覚えた。

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