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2009年1月16日 (金)

東山三十六峰

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今日の名言

世の中のおとろふると申は、日月(ひつき)の光(ひかり)のかはるにもあらず、草木(くさき)の色のあらたまるにもあらじ。人の心のあしくなり行(ゆく)を末世(まつせ)とはいへるにや。
北畠親房『神皇正統記』

月日はひかりの世の中が衰えるというのは、太陽や月の光が変わるというのではなく、草木の色が改まるというのでもない、人の心が悪くなって行くことが、「末世」ということになるのではないか。と解釈した。

0107ukisima11_2東山三十六峰懐手 西野文代

八文字の句である。句の表記について漢字にするか、ひらがなにするかはときどき迷うところ。例えば、桜と書くか、さくらと書くか。(もちろん櫻と書く選択もあろうが)ひらがなにするとやわらかい感じになる。あるいはさくらのはなびらの質感が出ると思われる方も居るかも知れない。

一方で、桜と書くと一字であるために視覚的に締って見える。さくらは拡散。桜は凝固である。俳句は散文や散文的な短歌に対し凝固の詩であるとみることもできる。一個の塊りのような爆弾のような。

この名詞をどうしてひらがなにしたのですかと尋ねると、あまり漢字が多くて一句がごつごつするのでと言われる作者もいる。僕なら凝固、凝集の効果の方をとる。

この句、だんだん俯瞰してゆくと一行がやがて一個の点にみえてくるだろう。俳句表現が一個の●になるような表記。俳句性の極致。別冊俳句『平成俳句選集』(2007)所収。(今井 聖)

私は何回か京都には行ったことがあるが東山三十六峰を見たことがない。物の本に・・・京都の東に緩やかな峰が続き、京都の街の境界の如く見え、京都の街の一つのシンボルになっている。「東山三十六峰」という事で昔から聞き及んでいる。標高は低いが、山の経験のある人から見れば「東山連峰」と感じるらしい。

江戸末期頃からか「東山三十六峰」と呼ばれている。京都の街中から見ると、三十いくつかの峰が見られ、日本人特有の語呂合わせからか、中国の嵩山三十六峰からの擬えからか、「東山三十六峰」と呼ばれたのに相違ない。

そもそも峰の定義すら怪しいのであるから、本当に三十六峰あるのかという問いも愚かであるが、過去に「三十六峰の特定」作業がいろいろなところで行われてきたという。

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