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2009年1月15日 (木)

小正月

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今日の名言

勇気と力だけがあっても、慎重さを欠いていたら、それは無に等しいということを忘れないでいて欲しい。
ウィンパー『アルプス登攀記』(下)

08iwakisan_zinzya11 女正月眉間に鳥の影落つる 飯島晴子

長らく今日の日を「成人の日」として馴染んでいたが、それも昔のこと、ハッピーマンデーの導入で「成人の日」は第2月曜日と相成り、休日でない15日は未だに居心地が悪い。もっとむかしは小正月を女正月と呼び祝っていたようだが、私にとっては死語に近い。

歳時記を読むと「十四日の夜や女の年取りと呼んで、男が女の食事を全部作ることもあり、また十五日の昼夜に女だけ酒盛りをする地方もある」と書いてある。(平井照敏編「新歳時記」より)要するに正月に忙しかった女が家族や男の世話をせずに、大手を振って出かけられる日。というわけだ。

掲句をみると、眉間に落ちる鳥の影は眉をひそめた女の顔も連想させる。家事を置いて出かけることにどこか後ろ暗さが伴うのだろうか。今はわざわざ旦那の許可を得なくとも奥方達はさっさと何処へでも出かけてゆく。

昭和30年生まれの私にしてこの馴染みのなさであるから、女と男の性差にもとづいた季語などはますます遠くなることだろう。作者にとって思い入れのある季語なのか、いくつか作例があるが、いずれもどこか翳りを宿しているように思う。「大根葉の青さゆゆしき女正月」「石鹸の荒き日影や女正月」「俳句研究別冊」『飯島晴子読本』(2001)所収。(三宅やよい)

一月十五日は、古来民間では、十五日(小正月)が本来の年越しであったということで、郷土色豊かな行事や、しきたりが、一年の中でもっとも多い日になっている。
一般によく行われているのが、小豆粥を炊くことで、粥の中に竹筒を入れて、筒の中に入った粥の多少で、今年の米の出来を占う。
このように、豊年を予祝する行事が非常に多いのが小正月の特徴で、餅花、繭玉といって、柳や水木の枝に餅を花のように付けたものを、米や繭の豊作を祈って座敷に飾ったり、また、削り花、削り掛けといって、竹柳の枝先をササラ状にして、稲の穂垂れの様子をかたどった物を、門前や家の中に吊るした。

火を焚くことも、広く行われていた。 これは、宮中の儀式、左義長が民間にも広まったもので、どんど焼き、さいと焼きなどとも呼ばれ、松の内が過ぎて、不要になった門松や注連飾りなどを、氏神の境内へ持っていき、焚き上げるのが一般的である。
「どんど」は、火がどんどん燃える様を表したもの、あるいは、本来は「とんと」で、「尊と」なのだと言われている。また、「さいと」は、道祖神を祀ってある所を表す言葉で、この行事が道祖神信仰と結びついていた地域が多いことを物語っている。

十五日は小正月で、我が家でも、昔は餅を搗き、むしろ織り・縄ないの藁仕事は休んだ。そう言えば、母親の手のあかぎれがむしろ織りでヒゴの先が当たって、痛そうにしていた様子が目に浮かぶ・・・。

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