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2009年1月19日 (月)

元横綱「輪島」の解説

08nangodake_sandou11懐かしい人がテレビに映っている、昨日NHKの初場所で元横綱『輪島』がゲスト解説をしていた。『黄金の左』という今は、「出島」・「栃の洋」の力士がいる、石川県出身の力士だった。なかなか、懐かしく、また当時の取り組みなどの思い出を語ってくれて楽しかった。

大相撲初場所(東京・両国国技館)は8日目の18日、元横綱の輪島大士さん(61)がNHK中継のゲスト解説者として両国国技館に顔を出した。81年春場所で引退して花籠部屋を継いだが、年寄名跡を担保にしたことが発覚、85年12月に廃業を余儀なくされて以来初の本場所観戦で「来て良かった。また来たいな」と上機嫌だった。

NHKは「国技館の名が付いて100周年なので招いた」と説明したが不祥事で廃業した関係者が本場所に顔を出すのは例がない。輪島さんは「遠慮もあるから」と協会関係者へのあいさつもなく、取組が終わると「古巣」を後にした。

学生相撲出身初の横綱であり、横綱になっても本名を四股名にしていたのは大相撲の歴史上でも輪島のみ(外国出身力士が帰化し四股名を本名とした例を除く)。右手の引きが強いこともあって左の下手投げを得意とし、トレードマークの金色の廻しとかけて「黄金の左」と言われ一世を風靡した。

下手投げを得意とする力士は大成しないというジンクスを破っている数少ない例である。当時の大相撲では「力士は走ると腰が軽くなる」(相撲は「摺り足」が基本で、足の裏を地面から離す「走る」行為は基本に反する、という考えからか?)と言われていたが、輪島は通常のスポーツ選手と同じように積極的にランニングを行い(元祖は横綱・玉の海らしい)、「稽古」を「練習」と呼ぶなど、あらゆる面で型破りだった。こういった点から「相撲を取るために生まれてきた男」「天才」という声もあった。

千代の富士、鷲羽山等小兵力士には絶対的な強さを見せたが、高見山等の巨漢力士に対しては脆さを見せる事も多かった。高見山には、当時最多記録だった金星12個のうち7個を与えており、現在に至るまで同一横綱からの最多金星獲得記録となっている

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