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2008年9月20日 (土)

健康維持で山歩き

今日の名言

うれしまぎれに、軽はずみな承諾を与えてはならない。酒の酔いにまかせて、腹を立て怒ってはならない。

洪自誠『菜根譚』

07akitakoma_sumire11二人行けど秋の山彦淋しけれ 佐藤紅緑

紅葉狩だろうか。妻と行くのか、恋人と行くのか。まあ、恋多き紅緑自身のことだとすれば後者かも。それはともかく、高々と澄みわたった秋空、陽射しも空気も心地よい。つい「ヤッホー!」と声をあげるか、歌をうたうか、いずれにせよ山彦がかえってくる。(しばらく山彦なんて聴いていないなあ)

山彦はどこかしら淋しいひびきをもっているものだが、秋だからなおのこと淋しく感じられるのだろう。淋しいのは山彦だけでなく、山を行く二人のあいだにも淋しい谺が、それとなく生じているのかもしれない。行くほどに淋しさはつのる。

春の「山笑ふ」に対して、秋は「山粧ふ」という。たとえみごとな紅葉であっても、「粧ふ」という景色には、華やぎのなかにもやがて衰える虚しさの気配も感じられてしまう。秋の山を行く二人は身も心もルンルン弾んでいるのかもしれないが、ルンルンのかげにある山彦にも心にも、淋しさがつきまとっている。ここは「行けば」ではなくて「行けど」が正解。

紅緑が同時に作った句に「秋の山女に逢うて淋しけれ」もある。両方をならべると、「いい気なものだ」という意見も出るかもしれない。されど、紅緑先生なかなかである。

紅緑は日本派の俳人として子規に師事したが、俳句の評価はあまり芳しくなく、やがて脚本・小説の世界へ移り、「あゝ玉杯に花うけて」で一世を風靡した。句集に『俳諧紅緑子』『花紅柳緑』があり、死の翌年(1950)に『紅緑句集』が刊行された。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)

人生も下り坂と感じるようになる年頃に、少しでも気分転換という事で山歩きもいいだろう。足にも自信がなくなって、高さ・距離なども若いときより大分控えめとなってしまった。まあ・・・そんな夫婦と行った山なのかあ・・・ 9月の時期で紅葉となると北海道の大雪山は、8月の後半から、1400㍍ぐらいで始まるとテレビで実況していた事を思い出す。

私は、一人で山歩きと言っても家から近くの山に散歩する事がある。最近住宅が出来て、静かなところがなくなってしまったが、健康維持から、2時間ぐらいだ。一人では長時間は自信がなくなった。出かけるときは必ず、水と携帯電話を持っていくようにしている。転んで、動けなくなたときなどが心配だからだ。

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