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2008年9月19日 (金)

もの言う鶏

今日の名言

たいていの男は意気地(いくじ)なしね、いざとなると。

夏目漱石『行人』

20080120990742131 間引菜をうばつて鶏の走りけり よしひこ

こんないきいきした鶏をずっと見ない。烏の賢さや狡さを人間は話題にするけど、鶏の賢さや狡さは語られることはない。嫌がられても烏の方がまだ動物として扱われている。鶏は違う。人にとって鶏はそもそも心や知能を持たない存在なのだ。

鳥取県で鶏二千羽と暮らしていたとき、手乗り鶏を作ろうと考えた父は、雛の頃から訓練をして見事に手乗り鶏を育てあげた。シロと呼ばれた白色レグホンはひょいと差し出された僕の腕に飛び乗った。

爪が痛いので布を腕に巻かなければならないのが難点。この鶏は地元の新聞に写真入りで報道された。鳥インフルエンザの伝染を防ぐためとして数百万羽の鶏の焼却処分が当然のように語られる現代、一方でトキの繁殖が奇跡のように喜ばれている。

ああ、鶏はかわいそうだ。虚子編『新歳時記・増訂版』(1951)所載。(今井 聖)

戦争中のこと、水飲み百姓の子供の頃の我が家に鶏が4・5羽飼っていたことがある。雄鳥が一羽と雌鳥四羽である。特に鳥小屋なんてなかった。いわゆる放し飼いである。だから、家の中に入り座敷や、お勝手に上がって時を作っていた事も覚えている。

卵を納屋の藁の積んである奥のほうに産むのであるが、時々場所を変えるのである。毎日2・3個探し当てて、とるのであるが、探す方法は、鶏は卵を産むと大きな声で鳴き出すのでないているところを探すのである。何か人間に「今卵をうんだよ!」と言っているようだった。

9人の大家族では、一日3個の卵では一人一個とはいかない、一個を醤油をおお目にして三人でご飯にかけて食べたのである。卵を取り忘れてしまい10何個も溜まっことがあった。お袋は、前掛けの中に大事そうに入れてどこかえ持っていって、ほっとしたような顔で帰ってきた。卵を売ってきたのである。鶏も家族?一緒の家で生活していたという、普段は気にしないが一羽でも見かけないと、どこにいったのかなあ・・・と探して見たり、天敵の猫などが来れば大声で鳴き、その鳴き声でどの鶏か姿が見えなくても分かった。そんな思い出がある。

しかし、物はなかった、子供だったから生活が苦しいとは感じなかったし、全く屈託がなかった。だが一つだけ、なぜ、どうしてと言ってお袋を困らせた事がある。それは、田んぼ一反で頑張って10表が取れるのが標準であるが、そのうち6表を年貢米として、地主さんに納めた。リャーカーの後押しをしながら、質問したが、お袋は黙って答えてくれなかった。

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