寝待月
今日の名言 我々が空想で描いて見る世界よりも、隠れた現実の方が遥かに物深い。 |
柳田国男『遠野物語・山の人生』 |
満月の終着駅で貝を売る 武馬久仁裕
言葉だけ追ってゆくと現実のありふれた描写のように思えるのに、俳句全体は非現実的な雰囲気を醸し出している。季の言葉としての「月」はそのさやけさが中心だが、この句は満ちた月と終着という時間性に重きが置かれている。
それが季を超えた幻想的なイメージをこの句に与えているのだろう。満月に照らされている駅は出発駅にして終着駅。ここから出立した電車はすべてこの場所へ帰ってくる。そう思えば月光に浮かび上がる終着駅は『銀河鉄道の夜』や『千と千尋の神隠し』にあるようにこの世と違う次元にある駅のようだ。
それならば貝を売っている場所はつげ義春の漫画にあるような鄙びた海沿いのモノトーンの景色が似合いだ。無人駅の裏にある小さな露店に暗い裸電球をぶらさげ顔も定かでない人が貝を売っている。売られている貝は粒の小さい浅利、真っ黒なカラス貝?それともこの世から消えた幻の貝?満月の下に売られている貝を想像してみるのも一興だろう。『貘の来る道』(1999)所収。(三宅やよい)
最近夜、外に出ることが少なくなったが昨夜は、住民協議会の会議で出かけ帰宅は10時頃となった。台風13号は台湾からUターンして日本列島を横断するかも知れないとの気象庁の話だ。しかも沖縄付近海上で、力を蓄えてというから、恐ろしいことになるのか?そんな前触れの空模様である。
しかし、昨夜は、月 が見られた。ぼんやりとして、少し欠けはじめていたが、寝待月である。ちょっと遅い月の出でのことある。寝て月の出るを待つということだそうだ。
月の出る時間が徐々に遅くなり、月の出るのを寝ながら待つという、なんとも風情のある情景を連想させられる。あわただしい一日を締めくくり、夜の帳が下りて暫くして月が現るのである。
北の空 あの娘は何処 寝待月
我子は、北朝鮮に拉致されて30年、いまだに消息が掴めない。今宵の月は少し欠けているがこの月をどこかで見ているかもしれない。寝て待つより仕方がないのか・・・。そんなことを思い浮かべてしまった。
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