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2008年9月17日 (水)

運動会

今日の名言

世間には完全な反目も和合もないばかりに夫婦が互いにいや気がさしながらもずるずると何年ももとのままで暮している家庭がたくさんある。

トルストイ『アンナ・カレーニナ』(下)

Img_0008教官の帽子の上や秋の雲 内田百鬼園

百鬼園の小説や随筆は、時々フッと読みたい衝動に駆られる。その俳句もまた然りである。たとえ傑作であれ、月並み句であれ、そこには百鬼園先生独自のまなざしが生き、風が吹いている。こちらの気持ちが広がってくる。

掲出句の「教官」は、帽子をかぶって幾分いかめしく、古いタイプの典型的な教官であろうか。その頭上に秋の雲を浮べたことにより、この人物のいかめしさに滑稽味が加味され、どこかしら親しみを覚えたくなる教官像になった。

すましこんで秋空の下に直立しているといった図が見えてくる。事実はともかく、さて、この教官を少々乱暴に百鬼園の自画像としてしまってはどうか。そう飛躍して解釈してみると、一段と味わいに趣きが加わってくる。「教官」にはどうしても固い響きがあり、辞書には「文部教官・司法研修所教官など」とある。教員・教師などといったニュアンスとは別である。この教官はのんびりとした秋の雲になど気づいていないのかもしれない。

百鬼園は芭蕉の句荒海や佐渡に横たふ天の川を「壮大」とした上で、「暗い荒海の上に天の川が光っていると云うのは、滑稽な景色である」と評している。されば掲出句を「教官の帽子の上に秋の雲が浮いていると云うのは、滑稽な景色である」と言えないだろうか。明治四十一年に「六高会誌」に発表された。つまり岡山の六高に入学した翌年の作だから、私の解釈「自画像」は事実とちがう。けれども、今はあえて「自画像」という解釈も残しておきたい。『百鬼園俳句帖』(2004)所収。(八木忠栄)

秋・「天高く馬肥える秋」というが、秋・小学校の運動会でもある。運動場の中央から万国旗が張られ、歓声・ピストルの音・行進曲の音楽・昼の母親の弁当のおにぎり・が思い出される。

 走る子の 歓声の空に 赤とんぼ

賞品 一等 帳面が一冊 2等鉛筆3本 3等鉛筆1本 であった。前の日から気合が入って、なかなか眠れない。でも一生懸命走った。そんな懐かしい思い出がある。

そうだ一番下の孫の女の子の運動会がある。元気に走る姿をみたい。

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