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2008年9月12日 (金)

秋の夜の流れ星

今日の名言

おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。

岡倉覚三『茶の本』

Shibutoge41星がおちないおちないとおもう秋の宿 金子兜太


星がおちない、で一息入れて下につづく。山国秩父の夜空だ。鳥取の夜の浜辺で寝ころんで空を見上げているとゆっくり巡っている人工衛星が見えた。海外ではもっとすごいらしい。

星がおちてきそう、というのは俗な比喩。秋の宿の「秋の」もむしろおおざっぱなな言い方。ナマの実感の旗を掲げ、俗とおおざっぱを破調の中でエネルギーに転じてぐいぐい押してくる。それが兜太の「俳諧」。

加藤楸邨、一茶、山頭火らに共通するところだ。「季題というものは腐臭ぷんぷんたり」とかつて兜太は言った。それは季題にこびりついている古いロマンを本意本情と称して詠うことを揶揄した言葉。兜太の「秋」は洗いざらしの褌のような趣。講談社版『新日本大歳時記』(1999)所載。(今井 聖)

 柿の実と  草葺き屋根に  星が降る

毎週、火曜日、防犯パトロールを行っている。夜8時半ごろ町内を4・5人で回っている。「アッ」流れ星だ!と叫んでしまった。拍子木を打つのを止めて暫く上空を見入ってしまった。

最近必ず一日に夕立があるので、中々流れ星を見るチャンスがなかったが、運良く見れた。家の庭に柿の木のある家は少なくなったが、私の住んでいる地区は田んぼ・山・池があり農業を営んでいる家もある。

子供の頃「♪一番ボシ見つけた!」と歌いながら、遊びから帰った記憶がある。遠い西の山並みを見ながら帰る。スーッ!と流れ星が山の裏側に消えた。

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