曼珠沙華
今日の名言 苦労が人間をけだかくするというのは、事実に反する。幸福が、時にはそうすることはあるが、苦労はたいてい、人間をけちに意地悪くするものなのだ。 |
モーム『月と六ペンス』 |
曼珠沙華思へば船の出る所 摂津幸彦
昨年の今ごろ埼玉の高麗へ曼珠沙華の群生を見に出かけた。鬱蒼と茂る緑の樹下のどこまでも真っ赤な曼珠沙華が広がり広がり続くので不安になった。
「曼珠沙華叫びつつ咲く夕焼けの中に駆け入るひづめ持つわれは」(小守有里)という歌のままに、この不思議な花を見つめている自分が内側から歪んでゆくような妙な気分だった。地面からするすると緑の軸が伸びてきて花を開くのが彼岸どきというのも出来すぎている。
摂津の句は夢のようなつじつまのあわなさが魅力であるが、この句の場合は「曼珠沙華」と「船」が現実と非現実を結ぶ紐帯となって読み手を不思議な世界へ誘う。ゆく船を見送る寂しい気持ち。
その気分は「曼珠沙華」が呼び起こすあの世への旅立ちとも繋がっている。「思へば」という動詞が現実の曼珠沙華から船着場の映像をだぶらせる効果的な言葉として働いている。摂津の句を読んでいると実人生と言葉の二重性を生きた人のせつなさが感じられてしんとした気持ちになる。『摂津幸彦全集』(1997)所収。(三宅やよい)
子供の頃から、不思議だなあ・・・と思っていた花だ。小さい時両手に一杯取ってきて、得意に母親に見せたのだが、不吉な花だから直ぐ棄てるように言われ、酷く怒られた記憶がある。毒もあるようで手を洗うように言われた。よーく見ると人間の手では絶対出来ない色合いと形はなんともいえない繊細な形である。
現役時代忙しく働いていた時代に曼珠沙華が赤い花が咲き出すと、『お彼岸』だな・・・と季節を教えてくれる花と 『彼岸花』で不思議な花だと思っていた。
色が赤だけと思ったら、白がある。昨日車で買い物に行く時、土手に一面に咲いているのを見た。これも不思議な光景だった。
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