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2008年9月10日 (水)

自分自身を客観的に見ることができる

539571_3朝日新聞のコラム「天声人語」に書かれていた内容だが、福田首相の「自分自身を客観的に見ることができる。あなたとは違う」という言葉を辞任の記者会見で聞いた。その時の頭は正常でないと誰にも分かったと思う。

興奮していたようでもあった。何時もの福田首相と違っていた。もともと、当事者でありながら、人ごとのような発言をしていたようなところがあったが、敵を作る事の出来ず、しかし自分を主張しなければならない立場を誇張だったのか?

コラムの内容は・・・福田首相は能が好きかどうか知らないが、世阿弥の書いた能楽の秘伝書『花鏡(かきょう)』に「離見(りけん)の見(けん)」という言葉がある。舞台で舞う自分を見物人として冷静に眺める、もう一つの目が必要という意味だ。

「自分自身を客観的に見ることができる。あなたとは違うと辞任会見で見えを切った福田さんは、だから能役者向きかもしれない。ならば辞任表明後、記者団の「ぶらさがり取材」に1週間も応じなかった沈黙は、自身の目にどう映っていたのだろう。

国民に意思を伝える機会を、自らつぶしてきたことになる。おととい久々に姿を見せ、だんまりの理由を「(自分の発言で)政治の情勢が影響されてはいけない」からと述べた。この「政治の情勢」は、翻訳すれば「政局」にほかなるまい。

つまり「党利によろしい環境」であって、国民のための政治ではない。思惑含みの辞任を質(ただ)されたくないのだろうが、「首相」のバトンはまだその手にある。あとは野となれと、国政への責任を忘れてもらっては困る。

福田さんが総裁に選ばれた時、小欄はやはり世阿弥の『風姿花伝』から一節を引いた。「たとえ跡取りでも、不器量の者には奥義を伝えるべからず」。そして増えつつある世襲政治家の志や責任感を案じた。1年たって、不安は当たったようである。

「一寸先は闇」は何も政界の専売ではない。災害あり、経済不安あり、国際問題あり。国民生活のいたる所で、あす何が起きるやも知れない。総裁選の祭りに浮かれず、最後まで褌(ふんどし)を締めてかかるのが、せめてもの奉公だろう。

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