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2008年9月25日 (木)

谷戸と屋号

心というものは、それ自身一つの独自の世界なのだ、――地獄を天国に変え、天国を地獄に変えうるものなのだ。
ミルトン『失楽園』(上)

20080120990742131_2戸谷戸に友どち住みて良夜かな 永井龍男

谷戸は「やど」とも呼ばれる。「谷(やと/やつ)」のことでもあり、龍男が住んでいた鎌倉に多い地名でもある。詩人・田村隆一はかつて稲村ヶ崎から入った谷戸の奥の小高い土地に住み、書斎の窓からは水平線がよく眺望できた。

「良夜」は時期的に今やちょっと過ぎてしまったが、主として十五夜=九月十三日の月の良い夜をさす。鎌倉住いの龍男は名月を見上げながら、同じ鎌倉の谷戸に住んでいる友だちの誰彼を想っているのだろう。

良夜であるゆえにことさら、親しい友だちは今どうしているか気になっている。同じように月を眺めているか、まだ片付かない仕事の最中か、のんびり悠然と酒盃をかたむけているか・・・・それからそれへと自在に想像を連ねているのだ。ここでは「鎌倉」という地名は隠されているけれども、「谷戸谷戸」によってその土地が奥床しくも、幸せな一夜のように感じられてくる。

昭和十年、横光利一がリーダーになってつくった門下生たちの十日会で、「俳句は小説の修業に必要だ」と横光は俳句を奨励した。そのなかに中里恒子や永井龍男らがいた。横光の歿後も、龍男は文芸春秋句会や文壇俳句会にも参加して、味わいのある俳句を詠んだ。谷戸の多い鎌倉を詠んだ句に対し、橋の多い深川を詠んだ龍男の句に橋多き深川に来て月の雨がある。平井照敏編『新歳時記(秋)』(1989)所収。(八木忠栄)

生まれも育ちも今住んでいる所で、故郷でもある。だから私のとっての故郷は、開発された今住んでいる所ではない。町名も部落名も過去におき去られ、忘れ去られてしまった。

それでも、この地区で一番高所と思われる御殿峠の山に登って、眺めて見ると、まだむかしの面影を残している谷戸の一部がある。

谷戸と言えば、片倉地区では、時田・川久保・釜貫・車石・台・只沼があり、宇津貫地区では、菖蒲谷戸・君田・和田内・中村などが思い出される。

谷戸谷戸にお地蔵さんがあたり、大きな木があったり、谷戸のシンボル的なものが必ずあった。そこに住んでいる住民が同姓の家が多かったのか必ず“屋号”あった。その屋号で呼んでいた。その屋号を知っている人が少なくなってしまった。

にしむらや・くるまや・しろした・まとば・しんや・上のむかい・いんきょば・さかした・しも・むかい・さかうえ・などが思い出される。

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