秋はじめ
今日の名言 学問には坦々(たんたん)たる大道はありません。そしてただ、学問の急峻(きゆうしゆん)な山路をよじ登るのに疲労困憊(ひろうこんぱい)をいとわない者だけが、輝かしい絶頂をきわめる希望をもつのです。 |
マルクス『マルクス 資本論』(一) |
一読、小さなものたちが織り成す物語を思い浮かべました。人間たちが寝静まったあとで、コップはコップの音を、スプーンはスプーンの音を、急須は急須のちいさな音をたて始めます。語るためのものではなく、伝えるためのものでもなく、単にそのものであることがたてる「音」。
もちろんこの「物音」は、人にもあてがわれていて、一人一人がその内側で、さまざまな鳴り方をしているのです。季語は「秋はじめ」、時期としては八月の頃をさします。まだまだ暑い日が続くけれども、季節は確実に秋へ傾いています。
その傾きにふと聞こえてきたものを詠んだのが、この句です。秋にふさわしく、透明感に溢れる、清新な句になっています。気になるのは、「一個」と「ひとつ」という数詞。作者の中にひそむ孤独感を表現しているのでしょうか。いえそうではなく、この「一個」と「ひとつ」は、しっかりと秋の中に、自分があることの位置を定めているのです。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)
そい言えば、女房が言っていた、大分日が詰まったね。 今日の東京の日の出は4時56分である。大分詰まった。4時30分にゴミ拾いに出かけ、帰宅が6時ごろになると、朝食の支度が終わるのが7時後になってしまう。暑い暑いというけれど夏は暑くないと大変お米が獲れない。しかし立秋をすぎ、庭の草木を見ていると、秋だなあ・・・と感じる。自然はうそは言わない。
紅葉と萩が何処からから、種が飛んできたのか庭の片隅に目に付いた。夫々、鉢に植え替えてみたところ、紅葉は60センチ、萩は40センチになった。そして萩に赤い花が5・6個つけた。そうなんだ、秋近しを感じる。
吹く風も ちょっと違う 秋匂う
どこからか さんまの匂いに 舌をだす
萩の花 一粒咲いて 秋はじめ
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