猫の悪戯
今日の名言 自由と我儘(わがまま)との界(さかい)は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。 |
福沢諭吉『学問のすゝめ』 |
夜になると昼の暑さが遠のき一足先に秋が到着したように涼やかな夜風が吹き抜けてゆく。今日から暦のうえでは「秋」に移行するわけだけど、とりわけこの頃の季感にこの季語が似つかわしく思われる。
日中は毛だらけの猫がそばに寄ってくるだけでも疎ましいが、そよそよと吹く風に汗もひき、ふと膝に寂しさを覚えるとき、座り込んでくる猫の重みもうれしい。俊敏な動きの猫の名が「愚図」というのも面白いが、「黒」と「愚」の字の並びにたっぷりとした夜の闇が猫に化身したごとき不思議が感じられる。
出だしの「膝」と結語「秋」のイ音がくぐもった音を連続させた全体の調子を引き締めている。「ほかのあらゆる類似の言葉を拒んでその特別に選ばれた言葉どおりくりかえし口誦されることを望んでいる」とは高柳重信の言葉だが、リズミカルな口誦性とイメージの豊かさはこの作者のどの句にも共通する特色だろう。『京の季語・夏』(1998・光村推古書院)所載。(三宅やよい)
最近、近所の一人暮らしのお婆さんが五.六匹飼っている猫のうち一匹が家の庭履きのサンダル、もって行ってしまう癖が付いて、あちこちの家のサンダルがお婆さんの家に集められている。一足のうち片方だけでは、使えない。
お婆さんは、猫が運んだサンダルを、家のフェンスにぶら下げて引取りを、お願いししているのだが・・・。ちょっと庭に出たい時に片方のサンダルがない。全くいい迷惑である。
猫がこんな悪戯するとは思っても見なかったが、フェンスにぶら下がっている猫の戦利品?を見ると、いささかあきれてしまう。また、迷惑をお婆さんに猫が運ばないように家に閉じ込めて置くように言えない位猫好きで、一人暮らしで猫で慰めてもらっているということもあって注意要望も、出来ないでいる。本当に困っている。
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