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2008年8月30日 (土)

幸せの感じ方

今日の名言

武力によって敵を制する者は、その半ばを制するにすぎない。

ミルトン『失楽園』(上)

282_field111うすうすとしかもさだかに天の川 清崎敏郎

このところ吟行中、五七、または七五、で終わってしまうことがある。その十二音は、すっと浮かびその時は生き生きしているが、取って付けたような上五、下五をつけることになると、すぐに色褪せて捨てることになってしまう。

結局、あれこれ考えて、「しかも」まとまらない。接続詞としての「しかも」の場合、広辞苑によると、(1)なおそのうえに。(2)それでも、けれども。(1)の例文としては、「聡明でしかも美人」。(2)は、「注意され、しかも改めない」とある。今の話は(2)か。

掲出句の場合、うすうす、と、さだか、は、それだけとりあげると逆の意味なのだが、感覚的には(1)と思う。星々のきらめきに比べるとぼんやりしている天の川の、確かな存在感。それが十二音でぴたりと表現されている。

子供の頃、天の川の仄白い流れを見つめながら、この中でリアルタイムで生きている星がどの位あるのだろうと、よく思った。直径十万光年という途方もない大きさの銀河系の中で、ちっぽけでありながら、今ここに確かに存在している自分。

あれこれ考えているうち、めまいがしてくるのだった。このところ不穏な驟雨に見舞われているが、日本列島は細長い。明日が新月の今宵、満天の星空とさだかな天の川を、きっとどこかで誰かが見上げることだろう。『脚注シリーズ 清崎敏郎集』(2007)所収。(今井肖子)

雨空が毎日続き空を見上げる気持にならない。昨日は朝は、雲の切れ間が出て、青空が見え始めた。その時太陽の有り難さを感じ、何か勇気が沸いたようだった。何時もは太陽が燦燦と輝き、この地球という星の万物を育んでくれている。有難いことだ。

そういえば、60年も昔のこと、お袋が、朝一番に庭先にあった。手漕ぎの井戸水で、顔を洗い、朝日が輝き始めた太陽に 両手あわせいた光景が思い出される。今思うと、宇宙に対し人間は、無力である。生かされている幸せに感謝している事だったと思う。

つくづく、幸せは、『与えてもらうのではなく、与えられて貰うものだ。』と実感するこの頃である。「与えて」と「与えられて」は、違う事に気がついた。

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