帽子あれこれ
今日の名言 愛というものは、愛されることによりも、むしろ愛することに存すると考えられる。 |
アリストテレス『アリストテレス ニコマコス倫理学』(下) |
季語は夏帽子。帽子をかぶるという行為にはいろいろな理由があるのでしょうが、わたしの勤め先には、電話中も会議中も常に野球帽をかぶっている男性社員がいます。見た目を気にしてなのか、別に特別な理由があるのか、知る由もありません。
ただ、この句の帽子には明確な理由があります。暑さや日ざしを防ぐためという実用の面から見るならば、帽子はたしかに夏がふさわしいようです。
句の意味はわかりやすく、行く場所や時間によって、着てゆく服を選ぶように、行き先によって帽子を変えているのです。面白いのは対象が、人や場所ではなく、その上に広がる「空」であることです。空の色や光の加減によって、どの帽子にしようかと悩んでいます。
なんとも美しく、きれいに透き通った悩みです。帽子を選んでいる部屋でさえ、中空に浮かんでいるような気分にさせられます。発想の中に「空」の一語が入り込んできただけで、これほどに読んでいて気持ちよくなるものかと、空の力にあらためて感心してしまいます。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2008年8月18日付)所載。(松下育男)
私も、一年中外に出かかけるときは、帽子をかぶる。散歩・庭仕事・旅行・防犯パトロール・防災訓練(ヘルメット)などである。それと、季節にある程度合わせないと、夏のかんかん照りは、麦わら帽子が涼しくていい。
百姓の家の親父は禿げていて、家の中でも、冬などの寒い日は戦闘帽をかぶっていた事もある。禿げていると、髪の毛がないと、頭が寒いのだろう子供の私は思った。
外で野良仕事など、冬などは、手ぬぐいで頬かむりして、その上に帽子をかぶって、麦踏する姿を思い出す。遠い西の山並みに、日が沈む夕暮れ、冷たい北風が拭きだす頃まで農作業はしなければいけないのかなあ・・・と。
昨日は九月』下旬の気温という、寒い一日だった。そういえば『処暑』である。暑い暑いと思っていたが、季節は秋である。虫も庭の片隅で鳴き出した。今月最後の日曜日孫達と一泊旅行である。真っ黒に日焼けした四つの顔を見るのが楽しみだ。
学校の宿題はもうそろそろ仕上げないといけないぞ!今日、電話かけてみるか・・・。
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