終戦で思う
今日の名言 急な山を登りつめて頂上に腰をおろす旅人は、ほっと一息いれるのがもうかぎりもない喜びだろうが、もし永久にそうやって休息していろと無理じいされたら、彼は幸福であるだろうか? スタンダール『赤と黒』(上) |
父は学徒出陣で海軍に配属され、鹿児島県の志布志湾に秘密裡に作られた航空基地で敗戦の日を迎えた。同年齢の義父は、広島の爆心地で被爆した後郷里に戻り静養していた。
九死に一生を得た二人とも戦争についてほとんど語らなかったが、戦死した同世代の青年達をいつも心の片隅において生涯を過ごしたように思う。
祖国の土を踏むことなく異国の地で果てた若者たちはどれほど無念だったろう。私が小さい頃、街には戦争の傷痕がいたるところに残っていた。向かいの病院は迷彩色を施したままであったし、空襲の瓦礫が山積みになった野原もあった。戦後63年を経過し、戦争の記憶は薄れつつある。
三十二枚の健康な歯をそろえながら飢えにさいなまれ、南の島や大陸で戦死した青年達の口惜しさは同時代を生きたものにしかわからないかもしれない。そうした人々への愛惜の気持ちがこの句を清子に書かせたのだろう。
事実だけを述べたように思える言葉の並びではあるが、「そろへ」と中止法で打ち切られたあとに、戦死したものたちの無言の声を響かせているように思う。『現代俳句』上(2001)所載。(三宅やよい)
昭和23年、11月に兄の復員の事を思い出す、突然玄関に『ただ今帰りました!』と、その当時28歳位だった兄が、シベリア帰りの防寒具と戦闘帽、小さなかばんを肩にかけ、直立不動で敬礼した姿を今でも忘れない。お袋は、この日まで、お不動様に毎月28日に、無事で帰って来るように、願掛けに行っていた。
来る日も来る日も、我子の帰りを待ち焦がれて神棚に手を合わしている姿は今でも思い出される。ふと今もなお北朝鮮に拉致されている家族の方の切なさ、苦しさの気持は分かる。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」いずれにしても戦争なんて得する人はいない。今朝のNHKラジオ深夜便で戦争体験者の、戦争の惨さを語るコーナーがあって、思わず聞いてしまった。その人は「憲法九条」これからも守って欲しいと訴えていた。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
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