神宮球場・後楽園球場の思い出
今日の名言 地上をあまりいい気になって濶歩(かっぽ)するでない。別にお前に大地を裂くほどの(力がある)わけでもなし、高い山々の頂上まで登れるわけでもあるまい。 |
『コーラン』(中) |
神宮球場だから東京六大学野球でもいいわけだけれど、豪快な「打撃戦」であろうから、ここはプロ野球のナイターと受けとりたい。ヤクルト対阪神か巨人か。ドーム球場では味わえない、激しい夕立が去って幾分ひんやりしたグランド上で、さてプレー再開というわけである。
選手たちが気をとり直し、生き返ったように、中断がウソだったように派手な打撃戦となる。夕立が両チームに喝を入れたのであろう。スタンドにも新たな気合が加わる。夕立であれ、停電であれ、思わぬアクシデントによる中断の後、試合内容が一変することがよくある。
夕立に洗われた神宮の森も息を吹き返して、球場全体が盛りあがっているのだろう。その昔、神宮球場の試合が夕立で中断しているのに、後楽園球場ではまったく降っていないということが実際にあった。夕立は局地的である。
ドーム球場では味わえなくなった“野の球”が、神宮では今もしっかりと生きているのはうれしい。長嶋茂雄ファンの正一は、「打撃戦」のバッター・ボックスに、現役時代の長嶋の姿を想定しているのかもしれない。
掲出句は雑誌の句会で、正客として招かれた正一が投じたなかの一句。席上、角川春樹は「『夕立』を使った句の中でも類想がない。佳作だよ」と評している。ほかに「満月を四つに畳んで持ち帰る」「ちょん髷を咲かせてみたし豆の花」などに注目した。「en-taxi」22号(2008年6月)所載。(八木忠栄)
神宮球場といえば、サラリーマン時代、都市対抗野球の東京代表で、予選を行った。会社の世話役で、大変な思いをした経験がある。選手の荷物や、応援団の道具などを輸送するのだがトラック2台分と大変量である。また、応援の要請が1000人位各職場から集める。そして、応援道具のTシャツ・団扇や帽子の製作依頼。などなどである。
そして、雨対策、日程の調整(雨で延びてしまった時)頭が痛かった。補強選手の依頼、宿舎の手配など、色々経験をしたが、今では懐かしく思い出される。
暑かったこと、日に焼けたこと。非常時作業で馴れない仕事で疲れたこと。正直早く負けてしまった方がいいと思ったことも・・・。
勝ち上がって、後楽園球場で試合で準優勝、したことなどである1978・79年の事であった。
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