終戦記念日
歴史から学ぶ姿勢
終戦時の首相、鈴木貫太郎であった。「もしあの時、私が講和する絶好の機会であるとでも言ったら、私は当然殺されていただろう」。殺されるのはいいが、目的を果たせないのは耐えられない。「黙視」は「拒絶」ではなく宣言を受諾する含みを残したのだ、と。
終戦を急げばテロにあっていた。鈴木にとって、それは議論の余地のない「事実」だったに違いない。2・26事件で襲撃され九死に一生を得た人である。
世界中でテロが続発しているが、日本にも「テロの時代」があった。その事実を学ぶべき歴史の筆頭におくべきだろう。
戦後の学校教育は現代史に時間を割かなくなっている。太平洋戦争にかかわる史実も学ぶ機会がない。これは改善すべき課題だ。
ソロモン諸島のガダルカナル島では、太平洋戦争で最も過酷な戦闘のひとつが行われた。それを知る若者は多くあるまい。戦闘もさることながら、兵士たちは逃げ込んだ密林で悲惨極まりない飢餓に襲われ、島を「餓島」と呼んだ。
政府はこの島に近々、国際協力の要員を送る。オーストラリア主体の平和維持部隊への文民参加だ。産業振興や立法基盤の整備が任務である。
かつて、ガダルカナル戦の目的は米国と豪州の連絡を遮断することにあった。今回は逆に日米豪の協力をアピールする。激戦の島の今昔の対比が鮮烈だ。
私たちは日本が国連平和維持活動(PKO)など、国際協力に積極的に参加すべきだと主張してきた。一国平和主義から脱して、世界の平和に責任を分担すべきだろう。だが、国際協力と対米協力は区分けする必要がある。
イラクへの自衛隊派遣は人道支援の建前だが、実際は対米協力色が濃い。北朝鮮問題での日米連携を期待した。しかし、米国は北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除に動き、日米に亀裂が生じたのが現実だ。
金融危機に陥った米国の銀行は産油国やアジアの政府系ファンド(SWF)の出資で息をついた。米国は軍事的には唯一の超大国だが、経済的にはもはやそうでない。そして、米国の軍事力で解決できる問題が少なくなっているのが、戦後世界の新しい現実だ。
米国との同盟は日本外交の基軸であり、同盟を確かなものにする努力を怠ってはなるまい。しかし、それは何もかも米国に追随することを意味しない。ことに、平和維持への国際協力ではそうだ。対米追随では評価されず、日本の国際的地位も高まらないだろう。
終戦の詔勅がラジオから流れたことも覚えている。8歳であった。そして、暑かった。63年経った今日も猛暑となる予報である。
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