取り返しがつかない環境破壊
今朝の毎日新聞のコラム「憂楽帳」に興味のある記事が載っていたので記して見た。
1906(明治39)年に足尾鉱毒事件の舞台になった栃木県南部の旧谷中村が渡良瀬遊水地建設のため廃村になってから100年余り。鉱毒告発と村民救済に生涯をささげた田中正造と谷中を語り続ける人が、渡良瀬川をはさんで向かいの茨城県古河市にいる。
佐々木斐佐夫(ひさお)さん(79)は祖父と父が移住してきた“谷中2世”。古河市には佐々木家も含め谷中から最多の88戸が移住。廃村後も抵抗する残留村民支援のため、度々現地を訪れた田中を、佐々木さんの祖父ら古河市内の支援者が泊め、カンパを贈った。古河は、廃村への協力を町ぐるみで拒否した土地。最後まで田中を支えた人が多い。
佐々木さんは99年、「田中正造を後世に伝える会」を結成。1901年に田中や支援者ら1200人が古河駅から谷中に向かった救援隊を再現する大行進を、06年まで毎年実施し、市内の小学生ら千数百人規模で成功させた。
「田中と、彼を支援した祖父らの体験は、環境問題など現代への教訓」。佐々木さんの訴えは次の世代に受け継がれている。【岸井雄作】
「鼻先に人参を突きつけられて、前に足を出してしまう馬と同じ」馬は人参が欲しいから前に進む、しかし、そこは囲いとも知らず嵌まってしまう。開発すれば、生活が楽になれる。と村人に突きつけられ、先祖から引きついた大事な田畑を、提供してしまった。なるほど少しの間だが、生活は、田畑の保障で楽であったが、ある時期がくると、恐ろしいことに気がつく、その時は後戻りできない。
利益追求ばかりの金の亡者が、後々の事まで考えないで、無力な人間を罠に落とし込めてしまう。そんな人々中に、反骨精神の強い人間もいる。しかしこういった亡者は、後を絶たないで現れる。
一旦、野山を開発すれば、元にも戻そうと思っても、戻らない。開発は環境問題を重視しなければならないのは当然であるが、人の心まで環境に左右される事を考える事が必要である。
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