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2008年8月25日 (月)

峠の我が家

名もない花

人間のすべての知識のなかでもっとも有用でありながらもっとも進んでいないものは、人間に関する知識であるように私には思われる。

ルソー『人間不平等起原論』

05detohama11秋灯洩れるところ犬過ぎ赤児眠る 金子兜太

勤務からの帰宅時だろう。若い父親である作者はまだ外にいて、我が家の窓から燈火の光が洩れているのに気がついている。その薄暗い光のなかを犬が通りすぎていく。昔は犬は放し飼いが普通だったから、この犬に不気味な影はない。通行人と同じような印象である。

この様子は実景だが、室内で「赤児眠る」姿は見えているはずもなく、こちらは想像というよりも「そのようにあるだろう」という確信である。あるいは「そのようにあれよ」という願望だ。

一つの灯をはさんでの室外と室内の様子を一句にまとめたアイディアは斬新とも言えようが、しかしよく考えてみると、誰でもが本当は実際にこういうものの見方をしていることに気づかされる。そこを具体的に言ってみせたたところが、作者の非凡である。

句が訴えてくる情感は、これまた誰にでも覚えのある「ホーム、スイート・ホーム」的なそれだ。帰宅時に家の灯がついているだけで心やすまる上に、新しい命の赤ん坊もすくすくと育っているのだから、ひとり幸福な感情にとらわれるのは人情というものである。ましてや、季節は秋。人恋しさ、家族へのいとしさの情感を、巧まずして「秋灯」が演出してくれている。そんな秋も間近となってきた。第一句集『少年』(1955)所収。(清水哲男)

峠の我が家と言えば、フォスターである。メロディーたまらなく良い、一人夕方の山道を家に帰るとき、口ずさむと何故か涙がでて、感動を覚える。実に良い。

遠くの山並みを見ると、山の頂にほんのり明かりが燈りで、ほっとする安心感・今日の無事に終わり幸せを実感する。なにか海の灯台のようなものかな・・・

(1)・・あの山をいつか越えて 帰ろうよ我が家へ この胸に今日もうかぶ 故郷の家路よ ああ 我が家よ
灯の光輝く 草の道歌いながら 故郷へ帰ろう

(1)・・あの山を誰と越えて 帰ろうか我が家へ 流れゆく雲の彼方 故郷は遠いよ ああ 我が家よ
灯の光輝く 丘の道歌いながら 故郷へ帰ろう

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