心安らぐ人との出会い
心安らぐ人との出会い
その人に会えば、思いが落ち着き、また心が和むならば、かってのあったことがない人でも、そのような人は、人は進んで親しむだろう。
【出会い大切】大切である。人との出会いほど不思議なものはない。 逆に、同じ通勤電車に知人も乗り合わせていながら、何年も気づかずにすれちがっていることもある。はじめて会った人なのに、心安らぐ人がいる。 そういう人に出会ったときほど、豊かな、満ち足りた気持ちになることはない。逆に、争いを好む人に出会ったときは、たちまち自分もその争いの渦にまきこまれ、知らないうちに闘争的になっている。接する人によって変化するどちらの自分も、ありのままの自分であることを認めねばなるまい。 原始仏典「ダンマパダ」にあるつぎの詩句は示唆的である。 人の心のありようはそのまま他人に伝わり、それがまた自分に戻ってくる。どんな時にもなごやかな心で接するように心がけることによって、人びととのあいだに小さな平安の世界が生まれるのである。
わたしたちは思いがけないときに思いがけない人と出会う。多くの人々の行きかう場所で待ち合わせをしているとき、何年も会っていなかった友人に偶然出会うことがる。
「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。もしも清らかな心で話した
り、行ったりするならば、福楽はその人につきしたがう。影がそのからだから離れないように。」
※出会いと交わり
人と人との出会いと交わりには「真理(まこと)」が存在していなければならない、と仏教では考える。ドイツの有名な哲学者ヤスパース(一八八三~一九六九)が残した次の言葉は、この仏教の思想と微妙にひびきあう。「交わりにおいて開顕される過程は、闘いが同時に愛であるような、あの独特な闘争である。愛としてのこのような交わりは、いかなる対象にもかまわずにあてはまる盲目の愛ではなく、明徹な眼を備えた闘う愛である」【参考文献 仏教のことば・生きる智慧 中村 元師 主婦の友社刊】
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