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2008年8月16日 (土)

武断統治の限界

Omoide31今中国では、北京オリンピック一色である。そのオリンピックに隠れた少数民族を統治すのが限界と見る現象が出てきたようだ。そして、オリンピック開会のセレモニーのも不信の行為が行われたことが明るみになった。

ああ・・・やっぱり新興国から先進国になる過程であり、過去日本・韓国がそうであったように、その道のりであり、仕方ない事かも知れない。

しかし、世界人口の5分の1の人口13億人の途方もない大きな国家では53の少数民族を統治するには、今までにないスケールであり、困難は果てしない。

東京新聞社説(抜粋)

中国の新疆ウイグル自治区で治安部隊とウイグル族独立派の血で血を洗う応酬が続いている。北京五輪への妨害を封じ込めるとして中国が強めた少数民族に対する武断統治の限界があらわになった。

武断統治とは(takataka4982さんのMy知恵袋)

簡単に言うと、国家権力が武力を背景に統治を行う政治形態で、革命や反乱によって成立した政府や、内戦状態を武力統一した政府の初期はいずれも大なり小なり武断的な政治が行われる。武断政治は武力による恫喝によって被支配層の合意なしに強制的に政策を実施するから、政策実現が素早く、非常に効果的であるが、その一方で被支配層の不満が蓄積され、支配層の軍事的優位が崩れればたちどころに破綻する危険性がある。
そのため、成立初期段階の政府は、武断政治によって国のシステムを整備し、その後徐々に文民統制や法治主義に転換する(あるいは転換を強いられる)のが一般的である。
例えば、徳川幕府は、成立後三代家光の代までは、大坂の陣や島原の乱の鎮圧、大々名の取り潰しなど強権的な政治を行い、武家諸法度や慶安のお触書、禁中並公家諸法度など幕政を支えた重要な決まりも初期の武断政治の頃に実施され、五代綱吉の代の頃からは、逆に武士の牙を抜き、儒教を重視し、学問を奨励し、文治主義への転換が図った。
武断政治を徹頭徹尾維持した政府は、モンゴル帝国のように短命であったり、オスマントルコ帝国のように長命であっても最盛期からの転落が早く斜陽の時代が長い場合が多

今月四日以降、同自治区では、三波の治安機関や公共施設などを狙った襲撃事件が起き、警察と襲撃側など双方で三十人以上の死者が出た。公安当局は五輪妨害を狙うウイグル族独立派の襲撃と断定した。

カシュガルの事件(四日)では警察官十六人が殺害された。クチャ公安局などへの襲撃(十日)には十五歳の少女も加わり市民一人も巻き添えになるなど悲惨だ。

一連の事件に対し同自治区トップの王楽泉・共産党委員会書記は十三日、地元幹部を前に「生きるか死ぬかの闘争だ」と宣言し「先んずれば敵を制す」の方針で徹底的に取り締まるよう指示した。

ドイツに本部を置く抵抗組織「世界ウイグル会議」によると、新疆では事件後、九十人を超えるウイグル族が拘束されたという。

いかなる理由があろうとテロは許せない。しかし、武力のみによる封じ込めは困難で、テロの温床になる貧困や抑圧こそ問題だ。

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