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2008年8月 6日 (水)

平和記念式典と戦争の恐ろしさ

06oga_toga11NHKwebより

広島は、6日、原爆が投下されてから63年となる「原爆の日」を迎えました。平和記念式典で、広島市の秋葉忠利市長は「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」と述べ、政府に対して核兵器の廃絶に向けた主導的な役割を果たすよう求めました。

平和記念式典は、爆心地に近い広島市の平和公園で午前8時から行われ、およそ4万5000人が参列しました。初めに、この1年間に亡くなった人や新たに死亡が確認された人5302人の名前が書き加えられた25万8310人の原爆死没者名簿が慰霊碑に納められました。

そして、原爆が投下された午前8時15分に参列者全員が黙とうし、原爆で亡くなった人を追悼しました。式典の平和宣言で、広島市の秋葉忠利市長は「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある。核攻撃から市民を守る唯一の手段は核兵器の廃絶だ」と述べて、政府に対し、子どもたちの未来を守る強い意志と行動力を示すためにも核兵器の廃絶に向けて主導的な役割を果たすよう求めました。

このあと、福田総理大臣が「今後も非核3原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて国際社会の先頭に立っていくことを誓います」と述べたうえで、被爆者には医療や福祉など総合的な援護策を実施していく考えを示しました。

式典にはこれまでで最も多い55の国から駐日大使などが参列し、核保有国からはロシアのほか初めて中国が参列しました。原爆投下から63年のことし、被爆者の平均年齢は75歳を超えました。高齢の被爆者の支援のあり方や、核兵器の恐ろしさを被爆を体験していない世代にどう伝えていくのかが、大きな課題となっています。広島では、この日、平和への誓いを新たにする祈りが続きます。

テレビ中継を見ながら、63年前のことを思い出していた。空襲警報のサイレン・B29の空高く、太陽のキラキラ光る機影。

そして何と言っても怖かったのは6月の植え田の時に、田んぼの真ん中で、お袋と二人を目がけて、鹿島灘沖から来たという艦載機の2機がアッという間に低空で機銃掃射をしてきた時だ。

田んぼで、逃げるところない、ただ足がすくんで動けないの見たかのように2機が命中しないのを確認して、もう一度折り返し、私達に標準合わせて来たようで、弾丸が1㍍先をプップッと水柱を上げていた。低空に飛行機が大きく見え、その音に圧倒され、今でいう戦争映画の「ランボウ」さながらであった。幸いにして、命中しなく機影は遠くに行ってしまった。

そんな事があって、暫くしてから噂で広島に大きな爆弾が投下されて、多くの人が無くなったという。ああ。。。日本もこれまでかと真剣に思った。8歳の夏のことだった。

本当に人の命を狙うということ、これが戦争!恐ろしい。

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