ソフトボール日本代表選手の裏話
昨日、北京オリンピックの女子ソフトボールは日本が延長12回の死闘を制しオーストラリアに4−3でサヨナラ勝ち。銀メダル以上が確定した。
朝日新聞webニュースから, 延長12回裏。打球は右中間に落ち、劇的なサヨナラ打となった。追い抜き追いつかれ、追い抜かれ追いつきの約3時間半に及ぶ激闘。ソフトボール日本代表の決勝進出を決める一打を放った西山麗(24)はダイヤモンドを跳びはねてガッツポーズで喜びを爆発させた。
心臓の難病を克服した選手だ。斎藤春香監督(38)と約10年前に交わした約束を果たしての夢の舞台だった。真っ先に出迎えた斎藤監督がしっかり抱きしめた。仲間に頭をパンパンたたかれ、顔はくしゃくしゃ。客席から続く「西山」コールに応え、ヘルメットを高く掲げた。
午前の米国戦。同じ延長戦で打球をグラブにさわりながら止められず、失点につながった。「挽回(ばんかい)したい」という思いと、2試合連投で踏ん張る投手の上野由岐子(26)を助けたいという気持ちだけだった。打球が飛んだ瞬間、「抜けてくれ」と祈った。
生まれつき心臓の弁に問題があった。かけっこも禁じられた。それでも小学時代は医者に内緒でバスケットをした。母美千子さん(57)は「できればやらせたくなかった。苦しくなったらすぐにやめなさいと言っていた」と話す。
走り続けなくてもいいスポーツにと、中学からソフトに転向。弁の提供者が見つかった中学2年の時に移植を決めた。その2、3週間前だった。地元実業団のソフトボール教室で、チームにいた斎藤監督から声をかけられた。96年アトランタ五輪で大活躍したあこがれの選手だ。
「いつか一緒にやろう」
その言葉を胸にソフトを続けた。術後の経過は順調。ランニング本塁打にできる打球を二塁でとまっていた人生が変わった。「思い切り走れることが何よりうれしかった」。斎藤監督と同じ実業団に入り、俊足と堅実な打撃が評価されて代表入りした。
義信さん(66)は術後のやりとりを思い出す。「完全に治ったわけじゃないんだよ。突然倒れて死ぬかもしれない。それでも続けるのか」「グラウンドで死ぬのは怖くないからやらせてほしい」。そこまで好きならやらせようと見守ってきた。医者からは「思いきってやっておいで」と五輪に送り出された。
西山は言った。
「本当にこの場にいるだけで幸せ。自分がプレーをする姿で、世界中の人に感動を与えたい」。大好きなソフトの舞台で、言葉通りの最高のプレーを見せた。
人間、誰だって、一つや二つは、体に具合があるのは当たり前である。その事を理由に何もしないでいるよりも挑戦することで、前向きに生きられることが出来る。
西山選手の一打にそして、2試合投げ続けた上野投手にも感激した。多くの日本人の勇気を与えてくれたことに感謝したい。
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