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2008年7月 9日 (水)

蝉時雨

今日の名言

絶望は虚妄(きよもう)だ、希望がそうであるように。

魯迅『野草』

24191蝉しぐれ捨てきれぬ夢捨てる夢 西岡光秋

何歳になっても夢をもちつづける人は幸いである。しかし、一つの夢を実現させたうえで、さらに新たな夢をもつこともあれば、一つの夢をなかなか果せないまま齢を重ねてしまう、そんな人生も少なくない。

掲出句の場合は、後者のように私には思われる。捨てきれない夢だから、なかなかたやすく捨てることはできない。たとえ夢のなかであっても、その夢を捨てることができれば、むしろホッと安堵できるのかもしれない。

それはせめてもの夢であろう。けれども、現実的にはそうはいかないところに、むしろ人間らしさがひそんでいるということになるか。外は蝉しぐれである。うるさいほどに鳴いている蝉の声が、「夢ナド捨テロ」とも「夢ハ捨テルナ」とも迫って聴こえているのではないか。

中七・下五は「捨てきれぬ夢」と「捨てる夢」の両方が、共存しているという意味なのではあるまい。それでは楽天的すぎる。現実的に夢を捨てることができないゆえ、せめて夢のなかで夢を捨ててしばし解放される。

そこに若くはない男の懊悩を読むことができる。だから二つの夢は別次元のものであろう。手元の歳時記に蝉時雨棒のごとくに人眠り(清崎敏郎)という句があるが、「棒のごとくに」眠れる人はある意味で幸いなるかな。光秋には水打つて打ち得ぬ今日の悔一つという句もある。『歌留多の恋』(2008)所収。(八木忠栄

最近、目標(夢)も持てない不透明な世の中である。そんな中行く先の読めない世界の首脳が集まって、地球温暖化、世界経済、拉致と人権、などの会談が行われている洞爺湖サミットである。

夫々の思惑があって、ここでも国家・個人主義などの、夢を実現の攻防である。これを乗り越えて、最大公約数で、一つのメッセージに纏めるのは、難しい。

先進国、発展途上国との問題、資源国、消費国などの調整は、何処までの突っ込んだ話し合いが、出来たのかである。

しかし、相手国を信頼し、理解する事そして相手の思いやりが、お互いの前進あるとおもうのである。

ざわざわと、世界の民の声が蝉時雨のような中、洞爺湖サミットは二日目が過ぎた。

そう言えば、NHKのニュースで何処か聞き漏らしたが、もう油蝉が鳴き出したという。

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