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2008年7月 5日 (土)

明月院(紫陽花寺)

今日の名言

親は子というて尋(たづ)ねもするが、親を尋ねる子は稀(まれ)

『山家鳥虫歌』

Dsc006691紫陽花の浅黄のまゝの月夜かな 鈴木花蓑

浅黄色は、古くは「黄色の浅きを言へるなり」(『玉勝間』)ということだが、浅葱色とも書いて、薄い藍色を表すようになった。今が盛りの紫陽花の、あの水よりも水の色である滴る青は、生花の色というのが不思議な気さえしてくる。

梅雨の晴れ間、月の光に紫陽花の毬が浮かんでいる。赤みがかった夏の月からとどく光が、ぼんやりと湿った庭全体を映し出して、山梔子の白ほどではないけれど、その青が闇に沈まずにいるのだろう。紫陽花と一緒になんとなく雨を待っている、しっとりとした夜である。

初めてこの句を「ホトトギス雑詠撰集・夏の部」で読んだ時は、あさぎ、とひらがなになっていて、頭の中で、浅葱、と思ったのだったが、こうして、浅黄、となっていると、黄と月が微妙に呼び合って、ふとまだ色づく前の白っぽい色を薄い黄色と詠んだのかとも思った。

が、じっと思い浮かべると、やはり紫陽花らしい青ではないかと思うのだった。代表句とされる大いなる春日の翼垂れてあり〉の句も印象深い。「新日本大歳時記・夏」(2000・講談社)所載。(今井肖子)

紫陽花と言えば、どうしてか家の紫陽花はここ2.3年全く咲かない。その理由が分からない。よく咲いていた株をもらってきて、植えたのであるが何だか分からない。肥料が足りないと思い肥料を与えてみたが、ただ青々した葉が焼けに生い茂っているだけである。

また、咲いている枝をもらってきて鉢植えにして置いたら、3年目の今年見事に咲いた。どうも、花の咲く条件があるらしい。

鎌倉の紫陽花寺(明月院)は、時々行っているのである(今年は行っていない)。境内に多くのアジサイが植えられ、〝アジサイ寺″と呼ばれている。ちょっと調べてみたのだが、

明月院は、臨済宗建長寺派に属する寺。首藤刑部太夫・山ノ内経俊が永暦元年(1160)に平治の乱で、戦死した父・首藤刑部大輔・俊道の菩提供養として、明月院の前身の明月庵を創建。その後、康元元年(1256)、鎌倉幕府五代執権・北条時頼が執権を北条長時に譲って、この地に最明寺が建立し、出家生活をここでおくったが37歳で死去。後に時頼の子・八代執権・北条時宗が最明寺を前身に蘭渓道隆を開山に禅興寺を創建した。

建長寺にも行っていない、近いうち鎌倉に行って見るか・・・。

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コメント

こんにちは。鎌倉のブログを読んでたらコチラのブログに辿り着きました。写真が綺麗でオシャレなブログですね。羨ましいです

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