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2008年7月12日 (土)

土用の梅干し

今日の名言

法の終るところ、専制がはじまる。

ロック『市民政府論』

15401干梅や家居にもある影法師 山本洋子

子供の頃に住んでいた家には梅の木があり、毎年たくさんの実をつけた。縁側にずらりと梅の実が干されていたのは梅雨が明けてから、もうすぐ夏休みという、一年で一番わくわくする時期だったように思う。

この句の梅は、外に筵を敷いて干されているのだろう。小さな梅の実にはひとつずつ、濃い影ができている。影は、庭の木に石に、ひとつずつじっと寄りそい、黒揚羽と一緒にやぶからしのあたりをひらひらしている。

干している梅の実がなんとなく気にかかって、日差しの届いている縁側あたりまで出てくると、それまでひんやりとした座敷の薄暗がりの中でじっとしていた影法師が姿を見せる。影法師という表現は、人の影にだけ使われるという。

寓話の世界では、二重人格を象徴するものとして描かれたりもするが、じっと佇んで影法師を見ていると、どこにでもついてくる自らの形を忠実に映している黒々としたそれが、自分では気がついていない心の奥底の何かのようにも思えてくる。『木の花』(1987)所収。(今井肖子)

夏の土用の干しをする光景は昔の農家ではよく見られた。ちなみに今年は7月24日だそうだ。赤紫蘇の葉に良く染まった、梅を筵に干しているところを見ると、思わず口に唾液がたまってしまう。三日三晩干すのだということは、お袋が良く言っていた。(ひその葉は、間違いでした=しそ=紫蘇が本当である。でも方言?で、通用していた?。14日更新)

梅にも色々な種類があって、どうも昔、竹ざおで叩いて落とした我が家の梅は、数は生(な)ったが、実は小さかったようだった。木に登って、一つ一つもぎ落すなんて出来ない木肌が滑らかでないからである。

そういえば、桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿と言っていた親父は、春先になると枝を良く切っていたことを思い出す。

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