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2008年7月 2日 (水)

DNAに手を加える?

今日の名言

わたしは書物はきらいだ。書物は知りもしないことについて語ることを教えるだけだ。

ルソー『エミール』(上)

07akitakoma娘が炊きし味は婚家の筍飯 矢崎康子

季語は「筍飯」で夏。といっても、もう時期的には遅いかな。筍飯にする孟宗のそれは五月ごろが旬だから。さて、掲句、類句や似た発想の句は山ほどありそうだ。「筍飯」を「豆ご飯」や「栗ご飯」と入れ替えても、句は成立する。が、作者はそんなことを気にする必要はない。また読者も、そうした理由によってこの句をおとしめてはならない。

そんなことは些細なことだ。人のオリジナリティなどは知れているし、ましてや短い詩型の俳句においては、類想をこわがっていては何も詠めないことになってしまう。思ったように、自由気ままに詠むのがいちばんである。母の日あたりの句だろうか。久しぶりに婚家から戻ってきた娘が、台所に立ってくれた。

筍飯は、母である作者の好物なのだろう。だから嫁入り前の娘にも、味付けの仕方はしっかりと仕込んであったはずだ。が、娘がつくってくれたご飯の味は、作者流のそれとは違っていたというのである。

明らかに、嫁ぎ先で習ったのであろう味に変わっていた。そのことによる母としての一抹の寂しさと、娘が親離れして大人になったこととのまぶしさの間の、瞬時の心の行き交いが、この句の「味」の全てである。味の違いに気づかぬふりをして、きれいに食べている母親の優しさよ。俳誌「日矢」(2007年7月号)所載。(清水哲男)

私は、掲句読んで、「守 破 離」を思い出した。むかし先輩から、教わった事であるが、人性の生きるには、みんなこの言葉通りに、生きているのだ。これは、武道でも教えているそうだが、生け花のある流派でも教えているそうだ。

いわゆる、稲草一本のから、確り親株の知恵(栄養・病気に耐える遺伝子を受け継ぐ)何株も増えて穂が出来る。そして離れて自立する。そこで親のDNAを受けついた種は一株の稲草となり、成長し穂となって種をつくる。この繰り返しで、植物は増殖していくのである。

今は、人間の手で、そのDNAを解析、勝手に神の領域に入り込んでしまい。問題となっている。確かに、病気に強く、沢山の収穫、味の良い、栄養価が高い物を目指していると思うが、必ずしも良いことばかりではないだろう。

お店に出す前にこの商品に表示している物があるそうだ。それにしても、クローン化何て恐ろしい人間になったら、生態系はどうなるのだろう。DNAに手を加える功罪は慎重にしないと、恐ろしい事になる。

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