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2008年7月 8日 (火)

夏の雨

哲学というものは、たしかに、結構なものだよ、ひとが若い年頃に、ほどよくそれに触れておくぶんにはね。
しかし、必要以上にそれにかかずらっていると、人間を破滅させてしまうことになるのだ。

プラトン『ゴルギアス』

03kisyoubu11夏ぐれは福木の路地にはじまりぬ  前田貴美子

夏ぐれは、夏の雨、それも「ぐれ=塊」と考えられることから、スコールを思わせる勢いある雨をいう。潤い初めるが語源という「うりずん」を経て、はつらつと生まれたての夏を感じる「若夏(ワカナチ)」、真夏の空をひっくり返すような「夏ぐれ(ナチグリ)」、そしてそろそろ夏も終わる頃に吹く「新北風(ミイニシ)」と季節は移る。

うっかりすると盛夏ばかり続くように思える沖縄だが、南国だからこそ豊かで魅力的な夏の言葉の数々が生まれた。福木(フクギ)もまた都心では聞き慣れない樹木だが、沖縄では街路樹などにもよく使われているオトギリソウ科の常緑樹である。

以前沖縄を旅していると、友人が「雨の音がするんだよ」と福木の街路樹を指さした。意識して耳を傾ければ、頑丈な丸い葉と葉が触れ、パラパラッというそれは確かに降り始めの雨音に似ていた。

わずかな風でも雨の音を感じさせる木の葉に、実際に大粒の雨が打ち付けることを思えば、それはさぞかし鮮烈な音を放つだろう。激しい雨はにぎやかな音となって、颯爽と路地を進み、さとうきび畑を分け、そしてしとどに海を濡らしている。

若夏や野の水跳んで海を見に〉〈我影に蝶の入りくる涼しさよ〉〈甘蔗時雨海をまぶしく濡らしけり跋に同門であり、民族学に深く関わる山崎祐子氏が、本書に使用されている沖縄の言葉についてわかりやすい解説がある。『ふう』(2008)所収。(土肥あき子)

昨日、にわか雨に遭う。散歩して降るだろうと予想していたが、サーと降ってサーとやんだ。しかし、遠くの山並みの上に、黒くもが掻き散らしたようになっていた。梅雨特有な降ったかとおもったら、日が差し込んできたり、忙しい空模様だった。

それだけ、今の時期、太平洋の高気圧と、大陸の高気圧が、日本列島の上空で激しくぶつかり合っているのが、感じられる。雨は、空気の寒冷で出来る訳であるが、そんな日でもあった。

しかし、蒸し暑いいなあー・・・。ちょっと動くと、直ぐしどどになってしまい、下着を取り替えないと、汗疹できてしまう。もう首後ろなどには出来てしまった。

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