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2008年5月 4日 (日)

八十八に弁才の天祭礼

今日の名言

新しい御馳走(ごちそう)の発見は人類の幸福にとって天体の発見以上のものである。

ブリア‐サヴァラン『美味礼讃』(上)

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八王子市打越町の弁財天のお地蔵さん

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               境内はツツジが色とりどりに咲いていた             

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弁才天の入り口

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境内で、催しもの

ことごとく箱空にして春惜しむ 川村智香子

明日は立夏、もう夏です。ということで本日は、春を惜しむ句です。季語「春惜しむ」は過ぎゆく春を惜しむこと、と歳時記にその意味が説明されています。さらに「惜しむ」とは、「あるよきものが今に失われてしまうことを知りながらいとおしむこと」とあります。なかなかきれいな説明です。下手な詩よりも、物事の緻密な説明文のほうが、よほど心に入ってきます。

掲句を読んでまず思ったのは、「この箱は、なんの箱だろう」という疑問でした。季節の変わり目でもあり、服を入れるための箱の中身を入れ替えてでもいるのかと思いました。あるいはこの箱は、人の中にしまわれた、さまざまな感情の小箱かとも思われます。

でも、そんなことを詮索してゆくよりも、与えられた語を、そのままに受けとる方がよいのかなと思います。「箱を空にする」という行為の中で、空(から)は空(そら)を連想させ、心の空(うつ)ろさをも思いおこさせてくれます。その空ろさが、行くものを惜しむ心持につながってゆきます。

また、「ことごとく」の一語が、数多くのものに対面している気持ちのあせりや激しさを感じさせ、行くものを見送る悲しみにもつながっているようです。句全体が、春を失って、空っぽになった人の姿を、美しく思い浮かべさせてくれます。『角川俳句大歳時記』(2006・角川書店)所載。(松下育男)

夏も近づく八十八夜♪♪

「夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る♪」
十八夜というと、弁財天のお祭りである。4・5歳の頃母親に手を引かれ急な坂道を越えて 連れられていった。夜店が出ていて、水鉄砲を買ってもらった記憶がる。そうして冒頭の歌詞は、茶摘みの唄として有名であるが、山の緑が燃えるようになって来るのである。

八十八夜とは立春から八十八日目のことである。この頃から本格的に気温も上がるので、昔は農作業が忙しくなる節目の日とされていた。私の家は農家で、今までの筵織りや縄綯いを止めて、田んぼに水を引き苗代作りが始まり、お蚕を“はく”(孵化)させ、畑に野菜の種を蒔くのである。牛にやる餌の草刈は小学生の頃は学校に行く前の私の仕事でもあった。
八十八夜といえば茶摘みの時期として知られる事が多い。私の家でも茶作りもして、茶を摘み、茶揉みを手伝わされた。茶揉みは、火を使うので熱く、手のひらを火傷を良くした記憶がある。
新芽を摘み取ってもまたすぐに生えてきて。その年の一番始めの葉を摘み取ったものが一番茶となる。そして順に二番茶、三番茶となる。

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