五月雨
今日の名言 面とむかって人を誉めたがるやつは、また影にまわると悪口をいいたがる。 |
『荘子』(四) |
明治三十四年、死の前年の作。子規は根岸の庵から雨に煙る緑の上野の山を毎日のように見ていた。病臥の子規にとって「見あきたり」は実感だろうが、人間は晩年になると現世のさまざまの風景に対してそんな感慨をもつようになるのであろうか。
「見るべきほどのことは見つ」は壇ノ浦で自害する前の平知盛の言葉。「春を病み松の根つ子も見あきたり」は西東三鬼の絶句。三鬼の中にこの子規の句への思いがあったのかどうか。この世を去るときは知盛のように達観できるのが理想だが、なかなかそうはいかない。
子規も三鬼も「見あきたり」といいながら「見る」ことへの執着が感じられる。思えば子規が発見した「写生」は西洋画がヒントになったというのが定説だが、この「見る」ということが「生きる」ことと同義になる子規の境涯が大きな動機となっていることは否定できない。
生きることは見ること。見ることの中に自己の瞬時瞬時の生を実感することが「写生」であった。『日本の詩歌3・中公文庫』(1975)所載。(今井 聖)
五月雨や 鯉の動きは はつらつと
一日中 五月雨降って 火がこいし
窓ガラス 切れ葉をつけて 驟雨かな
前の日は27度の夏日で、涼風が気持がよかったが、昨日は一日中雨で16度で火が恋しい。コタツにももぐってしまった。温度差が10度は70歳をちょっと超えたくらいでも、結構身体に堪える。雨戸に雨粒が付いているところから、風もあるのかなあ・・・。
湯殿川は、鯉が沢山見えるが今日は水が濁り見えない。一体何処に行ったのだろうか、ちょっと心配になった。
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